「南部の人」 1945年 アメリカ

監督;ジャン・ルノワール
出演;サガリー・スコット、ベティ・フィールド
2004年3月10日 DVD・自宅ごろ寝シアター

ルノワールの映画は、観る人を幸せな気持ちにする。大好きな監督だ。
アメリカ南部の棉花農業を舞台に、農場の雇われ労働者のサムが独立農地経営者を目指す物語。サムは念願の土地を借りて家族と移り住む。しかし、現実は、飢えと寒さと病気。そして、意地悪な隣人。
ルノワールは極貧の生活のなかでの小さな幸せを、さり気ないけれど、とても暖かく描き出す。ストーブに入れた火が、肩を寄せ合う家族の顔を照らす。祖母の毛布で娘デイジーのコートを作る。さんざん文句を言った祖母が、コートを羽織ったデイジーに「似合うよ」と言う。たったそれだけのカットで、家族の深い絆を感じさせる。
また、登場人物が、憎まれ役まで魅力的だ。サムの祖母は嫌みばかり言っているが、それはずっと苦労してきたからであって、いざという時はサムより芯が強い。隣人は嫉妬深く、意地悪ばかりする。でも、その嫉妬には、観客を納得させる理由がちゃんとある。逆に、完璧なヒーローもいない。サムのような強い人間にも弱さがある。監督の人間に対する鋭い洞察力。
サムはどんなに苦労をしても、誰にも雇われず、自由に生きるという信念を決して捨てない。ルノワール映画は自由・独立をテーマにしたもの多い。『南部の人』はドイツ軍に占領されたパリを逃れてハリウッドに渡った時の作品であり、反戦、パリ独立の願いをサムに重ね合わせているのだと思う。ジャン・ルノワールは名作を数多く残した巨匠だが、日本ではあまり知られていない。画家オーギュスト・ルノワールの次男。

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チェコアニメ特集−ティールロヴァーとトルンカ」

2004年3月7日 パルテノン○○

「Dプロ;アダルト編(短編9作品)」

ダヴィッド・スークトップ『同志』('98)、アウレル・クリムト『マシュキンはコシュキンを殺した』('96)、イジー・トルンカ『贈り物』('46)、ガリク・セコ『マイスター・ハヌーシュ』('76)『ファウストの家』('77)、ヘルミーナ・ティールロヴァー『カラマイカ』('57)『二つの毛糸玉』('62)『青いエプロン』('65)『知りたがりの手紙』('61)

5〜7日にかけて、トルンカとティールロヴァーの作品を中心に6プログラム上映された。うち3プログラムを鑑賞。日程の都合がつけば、6プログラム全部観たいぐらいだった。どれも水準が高く、ため息がでた。ほとんどが人形アニメだが、人形は目や口が動いたりするわけではない。パントマイムで表情が出てくるから不思議。関節しか動かないのに、怒ったり笑ったり照れたりする仕草、ただ歩いたりうなずいたり、何気ない細かい動きまでリアルに表現される。日本はアニメ大国なんて、大いばりできません(キッパリ)。
一番気に入ったのがティールロヴァー。チェコアニメの母と呼ばれ、チェコアニメのスタイルを確立した人らしい。彼女の作品は、その辺にある"物"、動きが想像できないものが楽しげに動き回る。『二つの毛糸玉』は、今回観たプログラムのなかではベスト。ティールロヴァーは毛糸がとても好きらしく、毛糸の作品をたくさん作っている。ピンクと水色の毛糸玉が裁縫箱からくるくる飛び出して、糸を束ね合わせた可愛い人形に変身。針や針山、糸など裁縫箱の道具で遊びだす。糸が絡まったりほどけたり、針山が馬になって走り出したり。動きが可愛いだけでなく、とても複雑で、速い。純粋に動きだけで人を惹きつけられるって、凄い。『知りたがりの手紙』も良かった。ポストに投函された手紙が、外が気になって飛び出してしまう。街やゴミ箱のなか、郵便局の中を歩き回り、いたずらし放題。普通の四角い手紙が、ティールロヴァーの手にかかると、歩いたり、飛んだり、面白い表情を持つ。とても楽しかった。

「Eプロ;真夏の夜の夢」イジー・トルンカ('59)

イジー・トルンカの傑作とされる作品。シェイクスピア『真夏の夜の夢』が原作。夜の森に迷い込んだ人間たちと森の妖精との幻想的世界が展開する。
ナレーションがストーリーを語り、それに沿って人形が細かい動きで、ナレーションでは語られない感情、気持ちなどを表現する。人形の顔はやわらかい感じの質感で、顔は水彩画のような手書き、表情はない。しかし、指先、足先の細部まで行き届いた動きで、威厳がある優雅な表情・仕草をつくり出し、時には恋する人を見つめるうっとりした瞳や、艶めかしさまで表現している。女王ティターニアが静かに歩くと、ドレスの裾かと思っていた小花のひとつひとつが花を一輪づつ持った小さな妖精で、それが一斉に羽を羽ばたかせ飛び立つ。息をのむ美しさだった。画面構成も人形や木の枝の配置までよく考えられており、冒頭では舞台風の家のセットを用いたり、人間の様子を見ている妖精を木の茂みにバストショットでオーバーラップさせたり、様々な工夫も見られる。画面構成を考えながら、同時にたくさんの人形の細かい動きをつけていく。これをすべて手作業で撮影したのかと思うと気が遠くなる。全体に青を基調とした映像が、幻想的でとても美しい。
確かに傑作だと思う。しかし、本当にシェイクスピア?と思うぐらい、話が単調に進む。途中で意識を失いかけた(汗)。映像は文句なしに素晴らしく、これだけでも見る価値は十分あると思うが、ちょっと退屈した。

「Fプロ;皇帝の鶯」イジー・トルンカ('48)

セリフはなし、音楽だけ。実写と人形アニメの組み合わせ。原作はアンデルセン。
熱にうなされた少年が、自分の部屋に散乱した中国風の人形やおもちゃが動き出す夢を見る(ここまでが実写)。それは中国皇帝と鶯の物語。
中国の皇帝(中国風人形)は、珍しい玩具に囲まれて暮らしている。ある日、竹林に住む野生の鶯の美しい鳴き声に、涙を流すほど感動する。しかし、青い目の人形から機械仕掛けの鳥が贈られると、皇帝はこれに夢中になり、忘れられた鶯は去ってしまった。皇帝が病に倒れ、死に神がやってきた時、あの鶯が窓辺に戻ってきて美しい声で鳴くと、死に神は去っていった。自然と機械に生と死を重ねあわせている。
中国の皇帝という設定だが、日本がかなり混じっている。皇帝に仕える何人もの侍従はみんな同じ顔で、同じ行動を取り、うんうん頷く。皇帝に振り回され、あたふたする様子は滑稽で笑えるが、個性がない日本人のイメージが投影されてるように思う。臣民がパタパタ振っている国旗は白地に赤いハートマーク、何かっていうと日の丸を沿道でパタパタ振るのが好きな日本人そのまんま(国旗を本当にハートマークにしたら可愛いかも…などと思ってしまった)。そして、外国の機械仕掛け鳥に心奪われる皇帝。この作品の製作年は1948年、敗戦後まもない頃で、日本人は自分の国の伝統より、先進国アメリカの方ばかりを見ていた。ひとりよがりかもしれないけど、竹林の鶯を忘れるなというトルンカのメッセージが込められているように思った。私は『真夏の夜の夢』より面白かった。
衣装が着物袖のチャイナ服だったり、髪型は辮髪をちょんまげにしていたり、箸を両手に持って使ったり…、細かい点は目をつぶろう(^_^;)。これが当時のヨーロッパ人がイメージする東洋なんだなと思うと、逆に楽しい。

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「GATTACA ガタカ」 1997年 アメリカ

 監督;アンドリュー・ニコル
出演;イーサン・ホーク、ジュード・ロウ、ユマ・サーマン 
2004年3月5日 DVD・自宅ごろ寝シアター

DNAによって人間が選別される社会。DNA操作で優秀な遺伝子を持って生まれた者が「適格者」としてエリートの道を歩む。父と母の愛によって生を受けたヴィンセントセント(E.ホーク)は「不適格者」。宇宙飛行士が夢だが、「不適格者」はスタートラインに並ぶことさえ認められない。夢を捨てられないヴィンセントは、身体障害者だが優秀な遺伝子を持つジェローム(J.ロウ)から血液、尿、髪などの検査用サンプルを提供してもらってジェロームになりすまし、宇宙を目指す。
冒頭の説明的セリフが長いし、SFの重要なポイントである設定の詰めも甘い。しかし、優秀な遺伝子を持つ者と持たない者の確執、友情、人間ドラマを深く描いたことで、良い映画になったと思う。ヴィンセントが宇宙飛行士になることを決してあきらめなかったのは、宇宙への強い憧れ以上に、遺伝子でその人間の価値を決めてしまう社会への抵抗だったからだと思う。「僕が出来ることを決めつけるな!」。涙が出ました。映像は非常に洗練されており、マイケル・ナイマンの音楽も美しい。
実際、エリートの遺伝子が高額で取引されている現代。あり得そうな近未来を描く映画は、現代への警告というメッセージが込められるので、悲観的なものが多い。しかし『GATTCA』は悲観的な未来像に一筋の希望を描いた。
ちなみにGATTACAは、DNAを構成する成分、A(アミン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)の頭文字の組み合わせらしいです。

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「ドニー・ダーコ」 2001年 アメリカ

監督;リチャード・ケリー
出演;ジェイク・ギレンホール、ジェナ・マローン、ドリュー・バルモア 
2004年3月3日 Wowwow放送録画・自宅ごろ寝シアター

女優ドリュー・バルモアが脚本に惚れ込んで、自ら製作総指揮をとった作品。
精神が不安定な高校生ドニー(J.ギレンホール)の前に、或る夜、銀色のウサギが現われて、世界はあと28日と6時間で終わると告げる。ウサギは少年に破壊行動を示唆し、「タイムトラベルの哲学」という本に導く。
ドニーには、現実が本の内容に近づいてきて、時間の穴が見えはじめる。最初の方では、これらは全てドニーの妄想のように見える。しかし、次第に、おかしいのはドニーではなくて、周りの人間なのではないかと疑いたくなる。怪しい洗脳教育をする学校、思考を単純化しようとする教員…。となると、学校を破壊し、周りから精神不安定の目で見られるドニーの方がよっぽど正常のように見えてくるし、ドニーにしか見えないウサギや時間の穴が現実?ようにも思えてくる。
この映画は、意図的に現実と妄想の境界線をあやふやにしており、どこまでが現実で、どこまでが妄想、夢なのか、分らない。そのなかで確かなのは、ドニーの周囲に対する孤独の闘いであり、死か、愛する人の不幸か、どっちに転んでも幸せにはなれない運命だったように思う。「可哀相なドニー・ダーコ」。最後の台詞が切ない。

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「ラ・ジュテ」 1962年 フランス

監督;クリス・マルケル
出演;エレーヌ・カトラン、タヴォス・アニシュ 
2004年3月2日 DVD・自宅ごろ寝シアター

第3次世界大戦によって地上は放射能で汚染され、地下に潜った人類は、生き延びる手がかりを得るため、被験者を過去や未来に送りこむタイムトラベルの実験を繰り返していた。そして、ある男が第3次世界大戦直前へのタイムトラベルに成功し、子供の頃に空港で見かけた女性に再会する。
たった28分のSF映画。モノクロのスチール写真=静止画像のみで構成され、主人公のモノローグだけで進行する。動き、台詞、極限まで余分なものを削りとった実験的な映画だと思う。スチール写真の構図はきっちりと計算された無駄のない画で、違う画がフェイド・イン、フェイド・アウトで次々に現われたり、動きが連続する画がコマ送りのように進んだり、オーバーラップしたりする。主人公のモノローグとともに、彼の脳裏に浮かぶ記憶の断片を覗き見ているような感覚だ。実験者の不気味な顔、女のイメージ、空港、どこかで会ったという既視感、動物、雑踏、朝のベッドに差し込む光、戦争で失われてしまったものたち、人の記憶やイメージをそのまま映像にしたら、まさにこんな感じだろうと思わせる。モノクロの静止画が、彼にとっては過去に触れる懐かしさで、私たちにとっては破滅直前の未来世界として、次々に浮かび消えていく。40年前の作品だが、CGを駆使した現在のSF映画よりも、ずっと生々しく、ストーリーも印象深い。今観ても衝撃がある。
『ラ・ジュテ』は、その後のSF映画に大きな影響を与えたと言われている。テリー・ギリアム『12モンキーズ』(ブルース・ウィリス主演)は、この『ラ・ジュテ』が原作。日本ではあまり話題にならなかったけど、私はかなり好きな作品です。

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「8人の女たち」 2002年 フランス

監督;フランソワ・オゾン
出演;カトリーヌ・ドヌーブ,エマニュエル・ベアール,イザベル・ユペール,ファニー・アルダン 
2004年3月1日 Wowwow放送録画・自宅ごろ寝シアター

ミステリーコメディ、ミュージカル仕立て。ある朝、一家の主が殺害されていた。犯人は家のなかにいる8人の女たちの誰なのか?。妻(カトリーヌ・ドヌーブ)、妻の母(ダニエル・ダリュー)、妻の妹(イザベル・ユペール)、娘2人(ヴィルジニー・ルドワイヤン、リュディヴィーヌ・サニエ)、主の妹(ファニー・アルダン)、メイド2人(エマニュエル・ベアール、フィルミーヌ・リシャール)。可愛らしい家を舞台に、歌とダンスを挟みながら、謎解きがはじまる。
この映画は謎解きが面白いわけじゃない。裕福で、母は上品で、娘は優等生で、メイドは慎ましく、幸せそうに見える家。しかし、互いに互いを疑って尋問する中で、上品な顔に隠された登場人物たちのありとあらゆる秘密がコミカルに暴露されていく。その秘密の意外性に、女たちも、観てる方も、主を誰がどうやって殺したかなんてどうでもよくなってしまう。この映画では主=男の存在感がまるでない!。
そして、豪華なキャストを見ても分るように、「女優を観る映画」だと思う。私は、オールドミスでひがみっぽい妻の妹(イザベル)に一番、笑わせてもらった。この人が本当に『ピアニスト』でカンヌ主演女優賞とった人?と思わせるほどの怪演だった。しかも監督はイザベルにピアノの弾き語りをさせている。狙って演出したとしか思えない…。トリュフォーファンとしては、ドヌーブとアルダンの絡みにもドキドキした。二人ともトリュフォーが愛した女性。
ミステリーとしては半端な感じがする。でも、ちょっとブラックの効いた笑いや、上品な映像、女優たちの魅力がいっぱい溢れていて、私には楽しい映画だった。

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