「パピヨン」 1973年,フランス

監督;フランクリン・J・シャフナー
出演;スティーブ・マックィーン、ダスティン・ホフマン
2004年11月13日 シネマクラブ第27回上映会

胸に蝶の刺青がある男パピヨン。無実の罪で、フランス領ギアナの刑務所に投獄される。刑期が終わっても、本国には帰れない。パピヨンは、13年間もの非人間的・過酷な生活を強いられながらも、自由を求め、脱獄を執拗に繰り返す。
シネマクラブのチーフが書いた解説を読んで驚いたのは、これが実話だということ。脱獄ものの面白さは、脱出不可能な場所からどうやって脱出するのかという、あっと驚く知的な企み・スリルにあると思う。『ショーシャンクの空に』『穴』などのように。が、本作はそうしたスリルより、自由への渇望、生への執着、作りもののヒーローではない現実の男の生き様が、全面に押し出されており、圧倒されてしまった。パピヨンが、独房で見た夢のなかで「人生を無駄に過ごした罪」で捕らえられるシーンがある。囚人とはいえ、友人ドガのように希望を諦めてしまえば、楽に生きることもできる。しかし、彼にとっては、刑務所や独房でただ時間が過ぎていくことが恐怖であり、最大の罪だったのだろう。それは死んでいると同じ。自由になることが最終目標としても、パピヨンは、脱獄する行為そのものに生きる意味を見いだしていたように思う。
そして、実話にはなかった友人ドガの存在が、単なる脱獄英雄ものに終わらせていない。パピヨンは、脱獄の途中で何度も裏切られる。そのなかで決して裏切らなかったのがドガだけであり、過酷な状況のなかでの2人の信頼関係には、胸が熱くなる。ドガはどこかで妥協して、目の前の安らぎに満足する人間だ。世の中の99%の人間はドガだと思う。ドガの存在は、観客にパピヨンへの羨望、パピヨンにはなれない弱さや悲しさを、否応なく意識させる。
スティーブ・マックィーンの映画をはじめて観た(^^ゞ。逞しいイメージはあったけど、独房生活で衰弱しきった演技も凄かったなぁ。

Cinema Diary Top

「欲望」 1966年,イギリス

監督;ミケランジェロ・アントニオーニ
出演;デビッド・ヘミングス、ヴァネッサ・レッドグレイブ
2004年11月12日 DVD・自宅ごろ寝シアター

カメラマンのトーマスは、朝の公園で逢引きしている男女を盗撮した。女がトーマスのカメラに気付き、ネガを要求する。トーマスは、別のネガを渡して、本物のネガを現像するが、女の視線の先に写っていたものは…。サスペンスではあるが、ストーリー性は重視されていない。が、写真を撮る人には、いろんな意味で興味深い映画だと思う。
セリフもなく、トーマスが写真をじっと見ながら、気になるところを引き伸ばしていき、そこに死体を発見するまでのシーンには息を飲んだ。私が写真をはじめて、最初に気付いたのは、人間の目とレンズは違うということだった。人間の目は、いろんなものが写っていても、興味ある対象物しか見ていない。でも写真は、それを余すところなく写してしまう。だから、写っているものから情報を探し出し、いろんなことを推測できる。そうした写真の意外性、推測の面白さが、サスペンスタッチと緊張あるシーンで、上手く表現されていると思った。
トーマスが、夜、公園に行くと、確かに死体が横たわっている。しかし、朝には跡形もなく消えている。そこにパントマイムでテニスをする集団が現れ、トーマスも見えないボールを追う。存在したもの既になくて、ないものそこにがある。存在の確かさと不確かさが同居する、これもまるで写真の世界のようだなぁ思った。
そして何と言っても、私は、写真を撮ったり、暗室で写真を引伸ばすシーンに一番ワクワクした。逢引きを撮影する長いシーンでは、木々のざわめきとシャッターを切る音だけしかしない。まるで自分がその場にいるような感覚で、緑の匂いや、頬にあたる風までありありと感じた。暗室のシーンも、トーマスがだた黙々と慣れた手つきで作業しているところを写しているだけなのだが、おおっ!こんな風にして引き伸ばすのか〜と感動してしまった。
一つ心残りなのは、ロックバンドのLiveシーンで、演奏していたのがヤードバースと気付かなかったこと。ヤードバース、それはエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、偉大なギタリストが3人も在籍した伝説のバンド。もっとよく見ておけばよかったよぉ〜。

Cinema Diary Top