「誰も知らない」 2004年,日本

監督;是枝裕和
出演;柳楽優弥、北浦愛、木村飛影、清水萌々子、YOU
2004年9月18日 MOVIX ○○

88年の巣鴨子供置き去り事件を基に、映画化(実際の事件は映画よりもっと悲惨)。奔放な母親と、明、京子、茂、ゆき、父親の違う4人の兄弟。学校へも行せてもらえない。ある夜、母親は現金20万円と、明に「京子、茂、ゆきをよろしくね」というメモを残して家を出て行った。
監督はドキュメンタリー番組を制作してきた人。この作品も、一見、子供たちの日常がドキュメンタリータッチで淡々と映し出され、台詞も日常会話の域を出ていないように見える。しかし、監督は、演出を抑えているように見せてリアリティを出しながら、少ない会話、何気ないカット(アポロチョコ、おもちゃのピアノ、飛行機、ベランダから落下する植木など)のなかに伏線を用意し、細部まで計算した演出をしていると思う。時間の経過を表すカットも、繰り返し挟まれる。母が塗ってくれたマニキュアが薄れ、母が短く切った髪が長く伸び、植物が成長し、スニーカーが汚れ、クレヨンがチビていく…。映画は2時間30分だけど、子供達にとって母を待つ時間は、気が遠くなるような膨大な時間なんだということを感じさせる。
「誰も知らない」のではない。子供だけで暮らしていることを、知っている大人は母親以外にもいた。しかし、子供たちがどうなろうと、誰も関心がない。だから「誰も知らない」存在になってしまうのだ。最初は、突き放したような撮影方法が冷たい印象だったけど、最後の方は、唯一、誰も知らない彼らを見つづけてきたカメラに、優しい眼差しを感じた。ラスト、遠ざかっていく子供たちの後ろ姿。この子たちはどうなるのだろうという思いに駆られる。
柳楽優弥は、2004年カンヌ国際映画祭、主演男優賞を受賞。他の子供、母親役YOUも、演技なのか、素なのか、分からないぐらいに自然体だ。誰が賞を取っても不思議じゃなかったと思う。こういう演技を引き出すのも、監督の才能なのかも。ゴンチチの音楽、タテタカコの歌も良かったな。

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「カジノロワイヤル」 1967年,イギリス

監督;ジョン・ヒューストン、ケン・ヒューズ、ロバート・パリッシュ、ジョセフ・マクグラス、ヴァル・ゲスト
出演;ピーター・セラーズ、ウルスラ・アンドレス、デイビット・ニーブン、ウディ・アレン、オーソン・ウェルズ、ウィリアム・ホールデン、デボラ・カー、ジャン・ポール・ベルモンド、ジャクリーン・ビセット 他 
2004年9月14日 DVD・自宅ごろ寝シアター

『ミスティック・リバー』以来、重めの映画が続いたので、気分転換。楽しかった〜!。
007/ジェームズ・ボンドシリーズ小説、「カジノロワイヤル」のパロディ。国際秘密組織スメルシュに各国の諜報部員が次々に殺される事件が発生。各国の情報機関は、隠居した伝説のスパイ、ジェームズ・ボンドに現役復帰を依頼するが…。
ストーリーも笑いも支離滅裂。しかし、この映画の場合、そんなことはどぉーでもいい。出演者の豪華なこと!。1つの映画のなかで、セラーズはセラーズの、ニーブンはニーブンの、アレンはアレンの芸風そのままのコメディを展開しているから、贅沢。ウェルズのいかにも悪そうな役柄も、はまりすぎている。私は、セラーズの変装シーンと、アレンのコンプレックス・自意識過剰キャラが、笑いのツボだった。アレンの演じたドクター・ノアは、セラーズの代表作『博士の異常な愛情、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』のストレンジラブ博士を思い起こさせ、最後は核爆弾ネタのオチだから、これまた笑える。
そして、ジャン・ポール・ベルモンド、デボラ・カーなどの大物俳優が、変なキャラで、ちょこっと出演しているのも見どころ。私が驚いたのは、ジャクリーン・ビセット。偽物ボンド(セラーズ)を誘惑する「ミス・太もも」という女スパイで出演。この頃はデビューして間もないので、まだ無名だったと思う。私が大好きな映画、トリュフォー『アメリカの夜』(1973)の主演女優だ。
こんな映画はもう2度と作れないだろうな。お金がかかりすぎて。

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「突撃」 1957年,アメリカ

監督;スタンリー・キューブリック
出演;カーク・ダグラス、ラルフ・ミーカー
2004年9月12日 LD

第1次世界大戦下、フランス。ミロウ将軍からダックス大佐の連隊に、ドイツ軍の"アリ塚"攻略の命令が下される。大佐は無謀な作戦と抵抗するが、決行され、敗退。しかし、ミロウ将軍は、敗因は兵士の命令違反だとし、見せしめに3名の兵士が軍法会議にかけられる。
1時間半と短いが、無駄がなく濃い。キューブリック29才、既に"完璧"。先月鑑賞したルノワール『大いなる幻影』が、戦争を超越する人間性を高らかに描いたのに対して、キューブリックは、冷徹な眼差しで戦争の非人間性を突き詰めていく。軍隊という階級組織の理不尽さ、人間性を全否定され兵器のように扱われる兵士たち、自己の保身のために、部下や仲間も犠牲にするエゴイズム。
「突撃!」。激しい砲弾のなかアリ塚を目指す兵士達が、長回し、地面を這うような横移動のカメラーワークで捉えられる。まるで無能な上官に動かされるチェスの駒。撃たれて、塹壕のなかに砂袋のようにドサッと落ちてくる死体に、誰も関心を示さない。キューブリックは、兵士を人間として撮っていないのだと思う。そうした非情の世界のなかで、唯一、ダックス大佐の良心に救われる。しかし、彼も一軍人であり、上官の理不尽な命令に反論はしても、逆らわない。部下の処刑が決まれば、冷静に実行するだけである。軍法会議の後で、私は処刑が覆ることを期待してしまったが、それを裏切る厳しさが、やっぱりキューブリックだなぁと思った。
ラストで、捕らえられ、さらし者にされているドイツ娘の歌に、兵士達が聴入る。それまで、捨て駒のように扱われ、物のように戦場に転がっていた兵士たちも、敵国の娘の歌に涙を流す"人間"であったことに気付かされ、私まで涙が出そうになった。「もう少し、そのままにしておいてやれ」。最後のカーク・ダグラス(ダックス大佐)が格好いい。歌を聴き終われば、彼らはまた戦場へ行く。
この映画は、後の作品『博士の異常な愛情』や『フルメタル・ジャケット』へ連なる要素が詰まっていて、興味深い。しかし、後期になるほど、この作品で、ほんの少しだけ見ることができた"人間の良心、人間性"は消えていき、キューブリックの視線はますます鋭く冴え渡っていくように思う。淀川長治が、どんな巨匠も1本ぐらいは駄作がある、ないのはキューブリックぐらいと、言っていたことを思い出した。
>ちゃくまさん、とても良い映画を教えていただいて、ありがとうございました。

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「堕天使のパスポート」 2002年,イギリス

監督;スティーブン・フリアーズ
出演;キュティル・イジョフォー、オドレイ・トトゥ
2004年9月8日 日比谷シャンテ・シネ3

オクウェはロンドンに不法滞在するナイジェリア人。トルコ人の移民シェナイの家を間借していた。ある晩、オクウェはホテルのトイレで人間の心臓を発見し、ある闇ビジネスの存在を知る。他方、シェナイは不法滞在のオクウェに部屋を提供したことで移民局に追われる身になり、闇取引で偽造パスポートを得る決心をする。
この映画に登場するのは、移民局の調査員を除けば、全て移民。ロンドンのもう一つの顔、移民社会が浮き彫りにされる。映画のなかの移民たちはドライバー、ホテル夜勤、メイド、縫製工場、娼婦、霊安室の管理人など、過酷な条件での労働に従事している。"不法滞在・就労"という弱みにつけ込まれて、虐げられ、犯罪に巻き込まれても、表に訴えることも出来ない。移民が命をかけた闇ビジネスに応じる背景には、こうした悲惨な環境がある。
差別、貧困、性的虐待、闇ビジネス…。移民を取り巻く重い社会問題に、トイレの心臓、オクウェの謎めいた人物像といったサスペンス的な掴みで、観客を引き込んでいく。脚本が良いと思った。ちょっと残念だったのは、オクウェの復讐には胸がスッとしたけど、そこだけフィクション丸出しのあり得ない展開になり、それまでの重々しい雰囲気やリアリティが損なわれてしまったこと。もう一つは、偽造パスポートは違法なので、そこまでしても祖国を捨てなければならない理由をもっと丁寧に描きこまないと、彼らに共感しにくいこと。シェナイの方は全く説明がないし、オクウェも最後の方でちょろっと告白されても、遅すぎる。
キュティル・イジョフォーは、まだ20代という若手俳優ながら、知的で高潔な人物を見事に演じ、とても好感が持てた。これからの活躍に期待。オドレイ・トトゥも"アメリ"とは全く違った役どころ、演技に驚かされた。問題は、トルコ人には見えな… (;^_^A  

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「ミスティック・リバー」 2003年,アメリカ

監督;クリント・イーストウッド
出演;ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン
2004年9月4日 シネマクラブ第25回上映会 

幼なじみの、ジミー、デイブ、ショーン。ある日、デイブだけが車に乗せられ、誘拐された。25年後、ある殺人事件をきっかけに3人は再び関わり合うことになる。ジミーは被害者の父親、デイブは容疑者、ショーンは刑事として。
原作は読んでいないが、映画はミステリーとして見ると、肩すかしをくらう。物語が多くの時間を割いている真相の解明過程とは、全く別の次元に答えがあるから。意外性はあるけど、それって反則ワザだろ〜と思う。
しかし、この作品の核になっているのは、運命に対する人間の無力さであって、殺人事件や謎解きは、それを語るための材料にすぎないのかなと思う。3人の誰があの車に乗ってもおかしくなかった。でもデイブが乗せられた。選ばれた者の傷と、選ばれなかった者の幸運と後ろめたさ。それが3人の人生を支配する。デイブは虐待の記憶からくる危うい言動が疑いを招き、ジミーは娘を亡くした悲しみに負けて罪を重ね、ショーンは助けもせず、止めもせず、ただ見ていた(ショーンの立場ならできたはずなのに)。彼らは運命に対して無力で、自分の弱さをさらけ出すしかなかった。
デイブの妻セレステに対するジミーとショーンの微笑は、運命に抗えないことを悟った彼らの、人生に対するあきらめ、過去の負い目に対する開き直りのように見える。ただ、ジミーの背中に彫られた十字架の入れ墨は、彼が重い罪を背負ったことを自覚している証だと思いたいし、ショーンがジミーに指で銃を向ける仕草をしたのは、彼を必ず捕まえるという意志表示だと思いたい。そのぐらいの思い込みをしないと、あのラストは本当に虚しくて、やるせなくて、見ていられない。
ショーン・ペン(2003年アカデミー賞主演男優賞)、ティム・ロビンス(同助演男優賞)、ケビン・ベーコンの演技が素晴らしいのはもちろんだが、セレステ役マーシャ・ゲイ・ハーデンの今にも押しつぶされてしまいそうな姿が印象に残った。

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「ぼくセザール10歳半1m39cm」 2003年,フランス

監督;リシャール・ベリ
出演;ジュール・シュトリック、マボ・クヤテ、ジョゼフィーヌ・ベリ
2004年9月4日 日比谷スカラ座2 

セザールはちょっぴり太め、学校では目立たない。両親が子供扱いして、対等に話をしないのが不満。親友のモルガンはかっこ良くて、成績優秀。憧れのサラと仲が良いのが気になる。でも、モルガンにも父を知らないという悩みがある。サラはサラで両親が離婚中。そんな3人が親に内緒で、モルガンの父を捜しにロンドンへ。
セザールの1人称ナレーションで展開され、カメラの高さも一貫して1m39cm。10歳半のセザールから見た世界にこだわっている。コメディタッチでかなり笑った。でも子供達にとって悩みはシリアス。その悩みは大人が原因で、セザール達は大人に不信感を持ってるから、大人にはちょっと痛い。セザール達は大人が彼らに真実を語らなくても、想像力を働かせて知ろうとし、大人にしたたかに反抗しながら、自分達の置かれた状況を真剣に変えようとする。
トリュフォー『大人は判ってくれない』『思春期』と似たエピソード・雰囲気があり、トリュフォーを意識してるかなぁと思う。でも、伝わってくるメッセージは正反対だ。トリュフォーは子供が自分の環境を変えられない悲しさを描いたけれど、セザールの場合は「小さくても人生は変えられる」。とても前向きだ。ラストは、ちょっと上手く行きすぎだよ…とは思ったけど、幸せに満ちていて、私は嫌いじゃない。
セザールの母役がマリア・ド・メディルシュ(私はつい最近までユマ・サーマンと区別がつかなかった…汗)。彼女が出演した『パルプ・フィクション』のパロディがチラッと出た時、映画館では一番笑いが巻き起こっていた…。そして、ビックリしたのがアンナ・カリーナ。ファンキーなおばさん役で登場。映画を観ている時は全然気付かず、後で知って唖然…。ゴダールの映画なんかより、ずっとイキイキして、とても良かった。
この映画は子供に観てほしい。ハリポタのようなヒーローも良いけど、等身大のセザールたちに共感できるんじゃないかな(フランスの子供の方がマセているが…)。

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