「トレイン・スポッティング」 1996年 イギリス

監督;ダニー・ボイル
出演;ユアン・マクレガー、ユエン・ブレムナー、ジョン・リー・ミラー
2005年2月26日 wowow録画・自宅ごろ寝シアター

トレイン・スポッティング=麻薬常習者。レントンはドラッグ中毒の若者。ドラッグを断つことを決意するが、悪い仲間に引きずられて、いつも挫折。
ドラッグという重い社会問題をあっけらかーんと描いてしまったことに衝撃。スピーディな展開で、飽きさせない。クスリ最高〜!ってな感じのノリで、軽く軽く生きている若者たち。危うくカッコイイかも…と思ってしまいそうになるが、そこにドラッグ問題の深刻さがひそんでいる。「寿命を勘定」しながら普通の生活をしている人たちが考えているほど、彼らは深刻じゃないこと。ドラッグはすぐそこにあるし、手を出すのも簡単。抜け出そうとしても誘惑に負けて、"ま、いいか"というノリの軽さでまたハマってしまう。クスリで友人が死んでも、赤ちゃんが死んでも、現実から逃避するためにまたヤクを打つ。ドラッグの外にいる人間がドラッグを批判するより、ドラッグに溺れる人間の側から描いたこの映画の方がずっと現実に近く、ドラッグ問題の核心を言い当てているように思う。
映像表現がユニーク。汚い現実からの逃避、快楽へ落ちていく瞬間、絶え間なく襲いかかるクスリの誘惑、罪悪感…などが突拍子もないイメージで表現され、面白い。
前にも書いた記憶があるが、イギリス映画は社会的底辺層を描いた作品が多い。背景の一つに根強い階級意識があると思う。レントン達は客観的に見たら、クズ人間である。しかし、努力しても、下のクラスから上のクラスへ上昇するのが難しいとしたら?。将来、何も期待できないとしたら?。レントンのように、「寿命を勘定する」中流階級ぶった生活をする人たちに唾を吐きかけ、ただその日を楽しく、刹那的に生きる若者がいても不思議ではない。ラストシーンの後で、レントンは真っ当な人生を歩いていくとは思えない。映画は最後まで陽気だけれど、見ている方はそれとは裏腹に重苦しいモヤモヤが残るのである。

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「2001年宇宙の旅」 1968年 アメリカ

監督;スタンリー・キューブリック 
出演;ケア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、ウィリアム・シルベスター
2005年2月12日 シネマクラブ第30回上映会

月基地で人間の進化に関わった「モノリス」が発見される。それは木星に向けて強力な電波を放っていた。謎の究明のため、宇宙飛行士・科学者とともに完璧なコンピューターHALを乗せた宇宙船ディスカバリー号が木星へ向かう…。
難解と言われるこの映画。重要な鍵はモノリスだろう。モノリスの解釈は難しい。私は映画を観た限りでは(原作は読んでいない)、生命や進化をつかさどる大きな力を具象化したものと理解した。人間はこれを"神"と呼ぶのかもしれない。"神"と言ってしまうと非科学的・非論理的イメージになるが、それを無機質な物体として具象化し、論理科学的に生命・進化への関わりを描いたところが面白いと思った。最初のモノリスは猿人に道具を与え、人間への進化・科学文明発達のきっかけを与えた。そして月のモノリスは人間を木星に導き、木星のモノリスは人間をスターチャイルドへ進化させた。進化・科学文明の発達には人間の計り知れない外的な大きな力が働いていて、猿人→人間という変貌があったように、人間もまた進化の最終形態ではなく別次元のものに変貌を遂げていくということを暗示しているのだろうか。シネマクラブのチーフの解説、あの印象的な音楽「ツァラトゥストラはかく語りき」をヒントにニーチェ「永劫回帰」を表現したという説は鋭いなぁと思った。
人間がHALのような優れた人工知能を開発できるほど進化しても、人間のつくるものに"完璧"はない。どんな科学文明も宇宙、膨大な時の流れのなかではちっぽけで、それに比べて、単純なように見える生命の繰り返しの方がずっと不思議で深いことを考えさせられる。
37年前の映画ということに驚く。全く古さを感じない。それは宇宙船や宇宙服のデザインや、宇宙船内部、月調査、船外活動の描写などが凝りに凝っており、その後のSF作品がこの映画を超えていないからだ。この映像はキューブリックの完璧主義によるものだが、時代背景も大きいと思う。この映画の翌年の1969年にはアポロが初の月面着陸を成し遂げた。米ソの宇宙開発戦争を背景に宇宙関連の科学技術が発達し、宇宙が空想ではなく、リアルに描ける時代になりつつあったのだと思う。とはいっても…、人間が宇宙に本格的に飛び出す前に、あの映像をつくったのだから凄い。

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