「海を飛ぶ夢」 2004年 スペイン

監督;アレハンドロ・アメナーバル
出演;ハビエル・バルデム ,ベレン・ルエダ , ロラ・ドゥエニャス
2005年5月15日 日比谷シャンテシネ

ラモン・サンペドロの手記を基に映画化。ラモンは事故で首から下が完全に麻痺し、家族の世話を受けながら、二十数年もの間ベッドの上で生活してきた。彼の尊厳死を求める闘いを通じて生きることの意味を問いかける。アカデミー外国映画賞。
尊厳死を求めるラモンの切実な叫び、尊厳死を否定しつつも彼を理解しようとする家族や友人の葛藤はよく描かれていると思う。しかし、この映画はあまり好きになれない(私の尊厳死に対する考えは置いておいて)。彼はどんなに愛されていようと、どんなに「死なないで」と言われようと、毅然と死を望む。その背景には、四肢麻痺で生きることへの想像を絶する苦しみがある。それは理解できる。しかし、問題は、ラモンが家族友人の愛情をどう受けとめているかがほとんど描かれていないことだ。そのため、彼の主張が周りを顧みない自己中心的な印象を与える。彼よりも、彼を愛している周囲の人々に感情移入してしまう。彼が尊厳死を遂げるには誰かに手伝って=殺してもらわなければならない。彼は家族・友人に"愛する人を殺す"という苦しみ、重い十字架を背負わせることになる。それに対して、彼がどう考えてるかが分からない。
恋愛の描き方も後味の悪さを残す。彼は同じ苦しみを抱える弁護士フリアと心で強く結ばれていたはずだ。しかし彼女が「死」を手伝えなくなると、彼に恋愛感情を抱いていたロサに「自分を本当に愛してくれる人は、死なせてくれる人」と言う。彼にとってロサは友人でしかない。ロサは優しいが、フリアのような教養、思慮深さがない女性である。だからこそ余計にあのセリフは、自分の望みを叶えるためにロサの恋愛感情を利用しているような感じを受けるのだ。実際、そうだったとは思いたくないけど、映画ではそういう印象を受ける。
監督が意外だった。「アザーズ」の監督でもある。テーマも作風も全く違う。しかし「アザーズ」は新境地を開拓したホラーとして、「海を飛ぶ夢」は尊厳死という倫理問題に直球を投げた映画として、両方とも映画史に残る作品になるだろう。凄い監督だと思う。

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「無常」 1970年 日本

監督;実相寺昭雄
出演;田村亮、司美智子、岡村春彦
2005年5月?日 DVD・自宅ごろ寝シアター

日野家の長男正夫は、親の期待に逆らって家業も手伝わず、ただ仏像に異様な関心を持つ日々を送っていた。両親が家を留守にした日、正夫は姉と一線を越えてしまう。
大学の頃に一度観た。以前、Diaryで「ポルノ映画?と思うぐらい過激だった」と書いたことがある。しかし、このコメントは、私が映像の過激さだけに目を奪われて、内容を全然理解してなかったことを告白しているようなものである。恥ずかしい。
この映画のテーマは、正夫と禁欲的な坊さんとの問答に集約されている。地獄に身を落としてこそ得られるのが快楽であり喜び。善と悪は表裏一体で存在するもの。仏の世界は無。苦しみもないところに快楽もない。正夫は周囲を巻き込み、地獄をつくりだす。誰も抗えず、地獄の快楽に溺れていく。正夫を諭した坊さんでさえ、快楽の欲求からは逃れられなかった。
私は宗教・信仰は絶対的・超越的存在を信じることだけとは思わない。人間の苦しみを合理化して受けれさせるもの、生き方を規定するものだと思う。仏教は正夫のような地獄を手放しで認めているわけではないが、人間は煩悩から逃れられないとみなす。死=解脱なのだから。そのため、例え、地獄の苦しみがあったとしても、逃れられない運命として受け入れられる。罪深いからこそ、良く生きようとするキリスト教とは違う。
テーマは深淵なのだが、後半は冗長すぎ。問答シーンの後はハッキリ言って飽きる。70年代らしいシュールなシーンが入っていたりするのだが、半分ぐらいはカットしてもいい。実相寺監督というと、私はウルトラセブンのイメージが強かったが、日本のじめっとした闇の部分にこだわっている監督であり、仕事としては後者の作品が多い。最近の監督作は、京極夏彦原作『姑獲鳥の夏』。妙に納得してしまう。

ATG(アートシアターギルド)のこと
『無常』はATG製作。ATGは商業ベースに乗りにくい映画の配給・製作を手がけた。『無常』ほか、篠田正浩『心中天網島』、大林宣彦『廃市』『転校生』、森田芳光『家族ゲーム』、相米慎二『台風クラブ』、石井聡互『逆噴射家族』など質の高い邦画、若手監督を次々に生みだしてきたが、92年に解散。ATGの邦画に残した業績は大きい。

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