「死刑台のエレベーター」 1957年 フランス

監督;ルイ・マル 音楽;マイルス・デイビス
出演;ジャンヌ・モロー,モーリス・ロネ
2006年6月 DVD自宅ごろ寝シアター  

完全犯罪を目の前に男はエレベーターに閉じこめられる。焦る男、待つ女。ヌーベル・バーグを代表する1本。
今さらだが、この映画を観て気付いたことがある。トリュフォーにしろ、ルイ・マルにしろ、ヌーベル・バーグ期の犯罪ものは、事件のプロットはあまり重要ではない。事件は状況にすぎないから。むしろ事件を取り巻く人間の心理をつきつめていくことに重点が置かれる。一刻一刻、揺れ動いていく心理が、抑えた演出のなかに緻密に表現される。この映画でも男は閉じこめられているだけ、女は夜の街をさまようだけ。しかし、情報が遮断されたなかでの焦りが、疑いへ、やがて失望へと変っていく微妙な心の移ろいが、じわーっと滲み出てくるのである。近年のこけおどし的なストーリー・過剰演出という幼稚な手法で観客を引きつけるサスペンスとは、一線を画す(こういうもののなかにも、たまに面白いのはあるけどね)。
全体的に、"虚ろな感じ"を漂わせる演出が冴える。裕福だけれど、満たされない男女の計画的犯罪。対照的に、貧乏で希望もない若者達の無計画な犯罪。動機は正反対だが、現代人の心にぽっかりあいた穴のような"虚ろさ"が引き起す犯罪という点では同じ。そこにマイルスの"クールの誕生"と言われた、あの冷ややかな感じのトランペットジャズが重なってくる。都会と、そこに閉じこめられた人間の殺伐とした雰囲気を否応なく感じさせる。
ジャンヌ・モローがとても良かった。彼女の出演作を観るたびに不思議な女優だなぁと思う。いつもムッツリしていて、監督にも観客にも決して媚びない近寄りがたい雰囲気がある。私は、彼女の一匹狼的な、ちょっとスレた感じが好きだ。この作品ではムッツリ度が最高レベルで、彼女の美しさ・魅力が最大限に引き出されていると思う。最初から最後まで、悲しみを含んだムッとた表情。「愛している」のセリフさえ、既に絶望しているようなトーン。だから、唯一、写真のなかの幸せそうな顔がよけいに切ないんだよな…(ちょっとネタバレ(^^ゞ)。

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「メゾン・ド・ヒミコ」 2005年 日本

監督;犬童一心
出演;柴崎コウ,オダギリジョー
2006年6月 DVD自宅ごろ寝シアター  

ゲイのための老人ホームが舞台。年老いたゲイたち、別れた家族、恋人たちとの人間模様。
アブノーマルな性的嗜好に対する理解は広まったけど、まだそういう人たちが生きにくい社会であるのは間違いない。そんな現実世界から逃避して、アブノーマル同士の世界をつくる方が生きやすい。しかし、現実の世界から、一生、目を背けつづけることはできない。家族への負い目、孤独、老い、死は容赦なく迫る。
結局、沙織は、ゲイの父や、恋してしまったゲイとの間にある壁をなくすことはできなかった。どうでもいい男に抱かれて、沙織が泣いたのは、分かるな。どんなに好きでも成就しない恋、そして母親の気持ちも分ってしまったのだと思う。お洒落して、母は父のゲイバーに行く。でも、父は母のところには帰らない。そんな切ない思いを、優しく見守るようなタッチで描き出しており、とても好感が持てた。後半、冗長さを感じたのと、エピソードが中途半端なところ(で、資金の問題はどうなっちゃったんだよー)が残念だった。
公式HPを覗いたら、もともとは大島弓子の短編マンガ「つるばら、つるばら」を映画化するつもりだったという。なるほどね、とても納得。大島弓子は深淵なテーマを、ファンタジー世界に描く。「つるばら、つるばら」の核心を、ファンタスティックな雰囲気だけは残しつつ、ありそうな現実世界に組立て直すと、確かに『メゾン・ド・ヒミコ』になる感じがする。大島弓子は、私の好きな漫画家ベスト5に入る。ほとんど読んでいると思う。そのなかでも「つるばら、つるばら」は大好きな作品だ。大島弓子作品の映画化を見る度、酷くがっかーりするのだが、これは良かった。ファンタジーという無理のある設定は捨てて、核心を生かしたこと、そして、俳優が良かったことなどが、成功した鍵だろうと思う。
公式HPはこちら『メゾン・ド・ヒミコ』

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「グランド・ホテル」 1932年 アメリカ

監督;エドモンド・グールディング
出演;ジョン・クロフォード,グレタ・ガルボ,ジョン・バリモア,ライオネル・バリモア
2006年6月 DVD・自宅ごろ寝シアター  

ベルリンのグランド・ホテル。宿泊した人々の人生が交錯し、それぞれ人生が大きく変わっていく。同作品は、一つの場所で複数の人物の物語を並行して描く手法="グランド・ホテル方式"を確立した。言うまでもなく、三谷幸喜『THE有頂天ホテル』はこの作品を下敷きにしている。
まず物語が面白い。ホテルに集まってくる客は、全く縁もゆかりもなければ、社会的地位も、職業も、生き方もまったく違うというのがポイントだと思う。ホテルの外では接点がない人々が、偶然、ホテルという場所で数日ともに過ごしたことにより、ホテルを出るときには、それぞれに全く別の人生の扉が開いている。運命の不思議さ。
ひとりひとりの人物造詣が深く、性格や個性を表す演出も素晴しい。登場人物が多いが、最初の1シーンで、人物と置かれた立場が自然に、そつなく紹介される。この見事な導入によって、後に続く複雑な人物関係にもすんなり入っていくことが出来る。また、人物の立場にそった人生の辛さや悩みを見せるシーンがひとりひとり丁寧に描きこまれ、特定の人物ではなく、どの人物にも共感させてしまうところがスゴイ。
大物俳優が共演した初のオールスター映画としても有名だ。どの俳優の演技も素晴しい。但し、グレタ・ガルボを除いて。やはり、彼女はサイレント時代の女優だと思った。これは『ニノチカ』(監督エルンスト・ルビッチ)でも感じたことだが、セリフ、演技がオーバー。本作では、チェコか何処かのバレリーナで情緒不安定、『ニノチカ』ではソ連のお役人。台詞回し、英語が下手な彼女のために無理な役柄設定をしなければならなくなる。私は、ガルボよりジョン・クロフォードの方がずっと魅力的だった。職業を持ち、お金や人生に対してドライな現代的女性を見事に演じていた。その意味で、女優の移り変わりを感じる作品でもあった。

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「いつか晴れた日に」 1995年 アメリカ

監督;アン・リー
出演;エマ・トンプソン,アラン・リックマン,ケイト・ウィンスレッド
2006年6月10日 シネマクラブ第46回上映会  

女性作家ジェーン・オースティン『分別と多感』(1811年)が原作。姉エレノアと妹マリアンヌは大地主・上流階級の娘たち。女子には相続権がないため、結婚で人生が決まってしまう。慎ましい姉、情熱的な妹。対照的な恋愛が、幸せな結婚をつかむまでの物語。
脚本は主演のエマ・トンプソン。アカデミー賞脚色賞を受賞した。良く言うと、原作を尊重しており、丁寧ではある。しかし、エピソードがどれも均等な重さで、多く詰め込みすぎているため、全体的に平板な印象。ラストの方も盛上がりを欠くまま、病気になったり、好きになったり、ダメじゃなくなったり…コロコロと話が展開する感じ。カメラワーク、カット割りが単調なのもそれを助長する。
とはいえ、安心して観ることができる良質な映画である。何度も映画化される作家だけあってストーリー自体が面白いし、映像も美しい。俳優も良かった。エマは賢すぎて感情を抑えてしまう辛さが、表情一つ一つから滲み出ていたし、ケイトも、世間知らずの娘の感情の激しさや、そのために大切なものを見失って女性として成長していく姿がよく表現されていた。そして、ヒュー・グラント=優柔不断男、アラン・リックマン=耐える男は、もうお家芸の域。今やイギリスを代表する俳優ばかりだ。
イギリスの産業革命が18世紀後半〜。成長が成熟するのが19世紀後半で、"世界の工場"とも言われたヴィクトリア朝期。1810年代は時代の大きな変わり目だ。旧来の上流階級層である地主の多くは土地資産を基盤とした金利生活者。これらの層に対して資本家・商人など新興階級が急上昇した。現実的に考えると、相続権のない女子はもちろん、男子も受け継いだ資産の食い潰しでは先細りなので、結婚相手としては財産のある家が優先順位として高くなるはず。好き、嫌いは二の次だ。そうした時代のなかで、この映画で描かれるような、財産の壁を乗り越えた"愛し愛される結婚"は、当時の女性たちにとってまさに憧れの結婚だったんだろうなと思う。また、原作からは、財産も相続できず、仕事もできず、結婚しか選択肢のない女性の自由のなさに対する批判も感じられる。封建的な家にとらわれた良妻賢母から→男性と同じ権利、もっと自由な生き方へ。女性の生き方の時代の変わり目でもあった。

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