「セントラル・ステーション」 1998年 ブラジル=フランス

監督;ヴァルテル・サレス
出演;フェルナンダ・モンテネグロ,マリリア・ペーラ
2006年5月 DVD・自宅ごろ寝シアター  

ブラジル映画。初老の女性ドーラはセントラル・ステーションで、文盲の人たちに手紙を代筆する商売で生計を立てている。ある日、行きがかり上、母親を亡くした少年ジョズエと父親探しの旅に出ることに。
心荒んだ大人が、少年少女との触れあいで人間性を取り戻していく。これが例えばアメリカや先進国ならば、ありふれたハート・ウォーミングものだ。しかし、ここに、ブラジルの厳しい社会事情が入ってくると、ちょっと考えさせられる。窓から電車に乗り込んで我先に座席を確保する若者、ストリートチルドレン、万引きして射殺される少年、孤児の臓器売買…。貧困と犯罪の横行のなかで、ドーラのように"因業ババァ"にならないと、生きていけないんじゃないか。ドーラを通して、他人の事など構ってられない自己利益至上主義、モラルも失われた荒んだ社会が見えてくる。こういう現実・世相は、ニュースや本などでは伝わってこない。映画だからできること。
孤児になったジョズエも、射殺されたり、臓器売買の餌食にされてもおかしくはなかった。けれど、"因業ババァ"でもドーラを頼るしかない少年のひたむきさが、ドーラのなかに本当に僅かに残っていた良心の欠片を呼び覚まし、彼をその運命から救った。旅を通して、2人は衝突しあいながらも、母と子のような関係を築いていく。ここまで荒んだ社会だから、なおさら2人の関係がかけがえのないものに思えてくる。
タイトルの『セントラル・ステーション』。駅は、いろんな人々が行き交う場である。それは、人々の思いを手紙にして、人と人を繋いでいくことを知ったドーラ自身のことでもあるのだろう。
最近のブラジル人監督の映画にはちょっと注目しておきたい。ヴァルテル監督の他の代表作として『モーターサイクル・ダイアリーズ』、『ビハインド・ザ・サン』(←好き)。またフェルドナンド・メイレレス監督の『シティ・オブ・ゴッド』は、ブラジル貧民街における子供の暴力・殺人描写で賛否両論を巻き起こした。『ナイロビの蜂』では昨年度のアカデミー賞助演女優賞を獲得。10月末に早稲田松竹で『シティ・オブ・ゴッド』『ナイロビの蜂』の2本立てがある。時間があったら観に行きたいな。

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「バグダッド・カフェ」 1987年 西ドイツ 

監督;パーシー・アドロン
出演;マリアンネ・ゼーゲブレヒト,ジャック・パランス,CCHパウンダー
2006年5月13日 シネマクラブ第45回上映会  

砂漠の寂れたモーテル。経営する家族もモーテルの住人もピリピリ苛立ち、荒んでいる。そこにあの印象的なメロディ"Calling You"とともにドイツ人女性ジャスミンがやってくる。個性的な人々、浮遊するストーリー、不安定なアングル、非現実的な色彩、かったるいメロディ…、これらが混じりあって不思議な空気をつくり出す。私は、こういうの、好き。
この映画は、マリアンネ演じるジャスミンのキャラクターに尽きると思う。太っていて、控えめなようで大胆なことをする。そして何と言っても可愛い。ジャスミンは、頑なに閉ざされた"掃きだめ"に、綿毛のようにふわっと飛んできた異邦人だ。彼女は、多分、"掃きだめ"を変えようとは微塵も考えていない。ただ、異邦人らしく、周囲から浮いているのもお構いなしに、自分のしたいように振舞っているだけだ。しかし、その異質なものが、自然にスッと人々の心に入りこんで低次元で均衡していた"掃きだめ"を崩し、新しいを調和をつくり出していく。ジャスミン入りの調和は、住人の渇いた心をひたひたと潤すが、その一方で、居心地が悪く「仲が良すぎる」と出ていく者もいる。来る者拒まず、去る者追わず。
メタファーの使い方にユーモアセンスがあり、面白い。ジャスミンがカフェにやって来ることを示すポット、"Calling You"の歌詞、必ず戻ってくるブーメラン。ジャック・パランスが描く2つの光が砂漠に輝く絵は、多分、ジャスミンとブレンダの運命的出会い。神々しいジャスミンの肖像は、カフェでの彼女の存在感そのもの。そして、ジャスミンのマジックの上達とともに、彼女のマジックにかかったようにカフェも人々も変わっていく。
この映画は劇場で観た。その少し後、私が東京でひとり暮らしをはじめた年だったと思うが、ホリー・コールがカヴァーした「Callng You」というアルバムがヒットし、すぐに購入した。テレビもない部屋で、よく聴いてましたっけ。私にとっては何度も見たい大好きな映画。

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