「狼たちの午後」

監督;シドニー・ルメット
出演:アル・パチーノ、ジョン・カザール
2006年10月20日 DVD自宅ごろ寝シアター

無計画な銀行強盗を実行したソニーとサルは、銀行員を人質に籠城せざるを得なくなった。警官に対して、派手なパフォーマンスで要求を訴えるソニー。彼らと人質との間には不思議な連帯が生まれ、野次馬も彼らを応援するようになる。実際に1972年に起きた事件を忠実に映画化。劇場型犯罪として有名な事件。
見ている方がハラハラするソニーとサルの要領の悪さ。悪い方へと事態が進んでいってしまう彼らの焦り、追いつめられたソニーと警官との駆引き。中盤あたりまでは、彼らどうするつもりなんだ…と、引き込まれる。しかし、後半、中だるみ。それは、実際の事件が中だるみしたからだと思う。犯人と警官は膠着状態、人質たちも呑気になりはじめる。私も、あー何か新しい展開ないの?。そして、だんだんと分かってきた。私もこの事件をニュース中継で見ている野次馬と変わらないことに。劇場型犯罪は、観客あっての犯罪だ。マスコミなどを通じて、不特定多数の一般ピープルに見られていることを意識する。劇場型犯罪をそのまま見ているような演出をし、映画を観ている人も、犯罪を目撃する一般ピープルとして事件へ巻き込む。想像だけれど、監督はこれを狙ったのではないかと思う。
触れておきたいのが、マイノリティの問題。今ではそれほど驚かないが、ゲイ、バイセクシャルへの偏見を取り上げた先駆的な映画だと思う。実際、ソニーがバイセクシャルだったのだと思うが、そこを犯行の背景として印象的に描いたのは、社会派監督のシドニー・ルメットだからかもしれない。犯行動機には驚いた。"その"ために、人生を棒に振るリスクを負ってまで、あれだけの犯行をするとしたら、彼らの悩みは私が想像できないほど深く、偏見によってもの凄い精神的ストレスを抱えているのだろう。そして、ソニーはそれほど彼を愛していたってことなんだろうな。
アル・パチーノ、ジョン・カザールの演技が素晴らしい。実は、私はアル・パチーノの映画をあまり観てないのだが(恥)、彼の演技はこの作品がベストだという評価や解説をよく見る。ジョン・カザールも、良い役者だと思うのに「ゴット・ファザー」とこれしか見たことない…と思ったら、この次の作品「ディア・ハンター」が遺作であることを知る。ついでにメリル・ストリープの婚約者だったことも。そうだったのか…。

小ネタです
ジョン・トラボルタ主演「ソードフィッシュ」というアクション映画がある。そこで、銀行強盗真っ最中のトラボルタは、カメラに向かって「『狼たちの午後』で、ソニーが人質を殺さなかったのは間違いだ。俺が監督なら云々…」と、この映画について割と長い時間、語る。で、気になって、気になって。ようやく観ることができました…。

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「人情紙風船」 1937年 日本

監督;山中貞雄
出演;中村翫右衛門、河原崎長十郎、霧立のぼる
2006年10月19日 DVD自宅ごろ寝シアター

江戸のある長屋。伝手を頼って何とか再仕官をしようと必死の浪人海野と、紙風船張りの内職をしている妻。海野の隣には、新三というヤクザな髪結いが住んでいた。
歌舞伎演目「髪結新三」(補足参照↓)が原作だが、かなり脚色されている。刹那的な生き方をする新三、八方ふさがりの海野、対照的ではあるが、希望もない、どうにもならない絶望的人生が全面に出されている。雨のなか呆然と立ちつくす海野、ニコリともしない妻、酒屋の縄のれんにオーバーラップする空…モノクロの1カット、1カットから厭世・諦念が滲み出てくるのである。
新三が企てた白子屋の娘・お駒拐かしに、海野も知らず知らずとはいえその片棒を担いだ。これによって新三は、確信犯的に自分を厄介払いする白子屋用心棒・源七の面子を汚し、海野も、やはり白子屋に縁があり、恩を仇で返された○○様(忘れた…)を困らせ、多少は窮地にいる身を味わせることができた。でも彼らの仕返しはせいぜいその程度だ。一方の白子屋は、娘さえ無事に帰ってくれば、数十両の金など痛くもかゆくもない。新三らは、一時、明るい気持ちで酒を味わうけれど、その笑顔も、やっぱり彼らの境遇は何ら変わっていないだけに切ない。秀逸なのは、そこからラスト。海野、新三のその後は状況から予測できるが、映像では一切見せていない。長屋から紙風船がぽとりと溝に落ち、すーっと流されていく。たったそれだけ。同情も憐憫もない。人生ってそんなもの…やるせない気持ちが、紙風船の残像とともに、いつまでも後を引く。
役者のセリフ回しが芝居がかっているのがちょっと気になるが(それは時代だから仕方がない)、1930年代に戦後にも連なる日本映画の技がここまで完成していることにも驚く。長屋の部屋のなかは必ずローアングル。といえば、もう小津安二郎から影響を受けたことは一目で分かる。逆に長屋全体、大通りでは奥に人を配したり、金魚売りをゆっくり横切らせたりして、奥行き、長さを出すように撮っている。
よく知られているように、「人情紙風船」は山中貞雄28才の時の監督作。この後、出征して戦地で病死し、本作が遺作となった。山中貞雄は二十数本ほど映画を撮っているが、フィルムが完全に残っているものは、本作と「丹下左膳余話 百萬両の壺」「河内山宗俊」の3本だけ。私はこの1作しか観ていないが、どちらかというと痛快な娯楽作品を得意とし、「人情紙風船」が異色作のようである。山中貞雄は遺書に「これが遺作になるのはチト寂しい」という言葉を残した。私も寂しい…。

梅雨小袖昔八丈 髪結新三
白子屋事件は実際に享保年間に起きた事件。大岡政談の一つとしても有名である。これを基にした落語人情噺「白子屋政談」は人気があり、河竹黙阿弥がさらに脚色して、歌舞伎「梅雨小袖昔八丈(つゆそでむかしはちじょう)」通称;髪結新三となった。上演される機会が多く、人気演目なのかなと思う。最近の記憶では、中村勘九郎改め18代勘三郎襲名披露公演の一つが「髪結新三」だった(見てないけど…汗)。

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「最後の戦い」 1983年 フランス

監督;リュック・ベッソン
出演;ピエール・ジョリヴェ、ジャン・ブイーズ、ジャン・レノ
2006年10月18日 DVD自宅ごろ寝シアター

文明崩壊後の地球。人間は言葉さえ失っていた。生き残った男達の最後の戦いとは?。
リュック・ベッソンの長編映画監督デビュー作品。25,6才頃に撮ったらしい。モノクロ。言葉を失っているという設定でセリフは一切なしという実験的な映画。感性も若々しく、若者だから撮れた映画だなぁという感じがある。リュック・ベッソンと言えば、「グランブルー」「レオン」で世界的に有名な監督となったが、私にとっては、この作品がリュック・ベッソンのベストだ。
ストーリーは単純ありきたりで、さほど面白くない。面白いのは、彼が想像する"世界"そのものだ。文明、言葉すらない世界で、僅かな人間はどんな風に生活し、生きて、どんなふうに人と心を通わせ、あるいは対立するのか、文明は芽はどのように生まれるのか。ベッソンは文明崩壊後の人間を、オタク的な感性で日常生活の細部まで想像し、描いていく。服装、住居、乗り物、食べ物、料理、娯楽…細かいところがいちいち面白く、このオタク的世界こそが同作品の魅力なんだと思う。
コミック的なストーリー、ハードボイルドテイスト、殺伐とした世界に芽生える友情・愛情など、後の作品にも連なるベッソンの特徴が、シンプルなストーリーのなかに最もプリミティブな形で表現されているように思えた。その意味で、彼の原点と言っていいかも。

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「切腹」 1962年 日本

監督;小林正樹
出演;仲代達矢、三國連太郎、丹波哲郎、岩下志麻、石浜朗
2006年10月?日 DVD自宅ごろ寝シアター

徳川幕府の下での泰平の世が定まった寛永年間。江戸では浪人たちが溢れていた。ある日、若い浪人千々石求女が井伊家を訪ね、食い詰めるより潔く切腹したいから庭を借りたいと申し出る。流行の「ゆすりたかり」と考えた家老は金で追い払わずに、本当に切腹させてしまった。しばらくして、井伊家に津雲半四郎という浪人が、同じように切腹したいと申し出て、身の上話をはじめるが…。
脚本は橋本忍(補足↓)。彼の脚本は、「切腹」も、「羅生門」や「砂の器」などの他代表作も、テーマを物語の進行に沿って一段、また一段と掘り下げ、畳みかけるように展開し、最後には重ーーーい衝撃を与える。本作のテーマは、体面(見せかけ)だけの武士道、封建体制権力者への批判である。本来、武士道は主君へ忠誠というだけでなく、フェアプレイで闘うための武士の道徳でもある。しかし、天下太平の下では、武士道は徳川家を頂点とする階級秩序を維持するために利用された。体制安泰という自らの保身だけのために理不尽な改易する幕府や、弱者を虐める井伊家のように、道徳が抜け落ちた、権力者に都合良く振りかざす上っ面だけの武士道が、いかに人の道に外れアンフェアかということなのだと思う。
半四郎の復讐は、井伊家に対する個人的な恨みに止まらない。彼はただ仇を伐つのではなく、武士の体面のばかばかしさを今度は井伊家に突きつけることで、井伊家を窮地に陥れた。つまり武士の体面そのものへの批判、抵抗できない者を弄ぶ権力への復讐という意味も持つ。さらに、半四郎自身も家族の窮状を救うことより「刀」=武士の体面を大切にした者であり、自分に対しての怒りも込められている。こうして半四郎の復讐劇は幾重もの深い意味をまとって展開し、観る者の心を強く揺さぶるんである。
また、「切腹」は、井伊家家老による覚書きのナレーションによりはじまり、覚書きの裏に隠された真相が明らかにされていく構成をとっているが、この覚書きは「お家」の存続、体面を守るために真実は伝えない。最後にも、覚書きナレーションが入り、半四郎のあの壮絶な復讐はなかったことにされたことを観客は知って、愕然とする。映画が終わる最後の1秒まで、武士の体面と権力のいやらしさに、徹頭徹尾、鋭く切り込んでいく。このテーマ追求の徹底さは、橋本忍脚本の特徴だと思う。
小林正樹監督は、実はこれ1本しか見てないんだけど(^^ゞ、画面から映画作りに対する厳しさを感じる。どこを取っても完璧な構図で、緊迫感がみなぎる映像。時代劇では当たり前な型や様式美にとらわれていない。この映画では、さまざまな状況下での切腹が描かれるが、どの切腹も全く異なっていて、しかも生々しく、ちょっと目を反らしたくなるほど(さすがに竹みつは…[壁|_-;)チラッ )。殺陣・立ち回りシーンも型破りで、そんな構えありなの?と思うぐらい自由で独特なんだけど、型・様式では生み出せないど迫力がある。井伊家の侍(丹波哲郎)と半四郎(仲代達矢)の有名な決闘シーンは真剣を使ったと言われてる。本当に人を殺せる真剣を振り回すわけで、役者の顔つきも演技を越えた凄味をたたえている。
半四郎役の仲代達矢、井伊家家老役の三国連太郎も素晴らしい。2人ともまだ若いけれど、老成の域だ。仲代達矢なんて20代後半だよ。それなのに何十年も苦労を重ねたような風貌、落ち着き、眼光の鋭さ、あれはどこからくるのだろう。
久しぶりに傑作と思える映画を観た。2006年私のベストワン映画。シネマクラブの友人に薦められたのだが、これを知らなかったなんて映検3級としては恥ずかしい…\(_ _ )反省。

補足 脚本家・橋本忍のこと
「切腹」脚本は橋本忍。黒澤明「羅生門」でデビュー、「七人の侍」「生きる」「隠し砦の三悪人」など共同執筆のひとり。黒澤以外では「張込み」(野村芳太郎)、「日本の一番長い日」(岡本喜八)、「白い巨塔」(山本薩夫)、「砂の器」(野村芳太郎)、テレビドラマ「私は貝になりたい」などが代表作。私は、脚本がすべてとは言わないが、映画の出来をかなり左右すると思っている。橋本忍が手がけた脚本は、その殆どが名作と評価される映画だ。

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