「昼下りの情事」 1957年 アメリカ

監督;ビリー・ワイルダー
出演;オードリー・ヘップバーン、ゲーリー・クーパー
2007年2月10日 シネマクラブ第54回上映会

プレーボーイのフラナガンに初めての恋をしたアリアーヌは、彼の気を引くために一生懸命に背伸びする。恋愛映画の名作。
お約束の展開なのだけれど、なーんかワクワクして、楽しい。プレーボーイおじ様に女の子が恋をする。ビリー・ワイルダーは、たったこれだけのシンプルなストーリーを、洒落た映像、テンポの良いシーン運び、会話の小気味よさ、脇役、小物、音楽などの使い方で、何倍にも面白く、センス良く仕立ててしまう。その辺が、"職人"って言われる理由なんだろうな。探偵の父と娘という設定が、オードリーのおませな初恋にも、娘の恋の詮索と心配をする父親にも、面白く活かされているし、ビリー・ワイルダーの手にかかると楽団やチェロケースまでもが名脇役になってしまう。私は、映画の冒頭のシーンが好きだ。年齢や立場に関係なく、恋するよろこびが軽やかに描かれ、素敵な導入だなと思う。音楽の選曲、使い方も巧い。名曲「魅惑のワルツ」。タラララーン、ラーララー…、恋で舞上がる気持ちがそのままメロディになった感じだ。アリアーヌが、これを口ずさむのを聞いただけで、幸せな気持ちになってしまう。
なんてったって、オードリーが可愛い!。健気で、茶目っ気がある女の子は、彼女以外に考えられないというぐらいはまり役。衣装もオシャレだ。チェロ弾きなので、ふわっとしたワンピースや、パンツスタイル。スラリとしたオードリーが、清楚なファッションでチェロケースを持ち歩く姿は、とても愛らしい。フラナガンの浮気相手が、女の色香むんむん、ボディラインを強調したドレスを着ているから、よけいにオードリーの少女っぽさや、いじらしさが引立つ。一方の、フラナガンを演じるゲーリー・クーパーは、素朴、実直な男という役柄が定番だけど、その正反対のプレーボーイだ。でも、恋慣れたふりをする小娘オードリーに、なんだかんだと振り回されちゃうところは、ゲーリーの素朴さが滲み出て、なかなか良かった。
ラストシーンは、ただもう、うっとり。だって、さみしさをかくして、無理に強がる女の子は男の永遠の憧れ、恋した人に抱き上げられるのは女の子の永遠の憧れ。だもの。

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「不思議惑星 キン・ザザ」 1986年 旧ソ連

監督;ゲオルギー・ダネリヤ
出演;スタニスラフ・リュブシン、エフゲニー・レオーノフ
2007年2月 DVD自宅ごろ寝シアター

旧ソ連製作の、ゆるゆるのSFコメディ。技師と学生が街角で、変な男(異星人)が持っていた空間移動装置でキン・ザ・ザ星雲の惑星に放り出されてしまう。キン・ザ・ザでのカルチャーショックにもめげず、地球へ帰ろうと、あの手、この手。
えーっと。。。とりあえず、「クー!」。←キン・ザ・ザの正しい挨拶。
ソ連映画といえば文芸大作というイメージが、音を立てて崩れた…。旧ソ崩壊直前とはいえ、こんな映画を作っていたことにまず驚く。そして、これまでの"SF"にはなかった、ゆる〜いノリ。このキワモノっぽい感じが、オタク心をくすぐる。
私はこういうノリは決して嫌いではない。しかし、内容が薄い。資本主義、官僚社会の負の側面を、他の惑星を舞台に借りて、誇張して再現しているだけであって、舞台設定を除けばSFの要素がほとんどないし、資本主義・官僚社会批判としてもレベルが低い。モノとしての価値がそれほどないマッチに、特別な価値が付与されていて、血眼になって奪い合ったり、マッチの本数で階級が決められていたり、上層階級のくだらない道楽のために、たくさんの下層階級がドロドロになって働いていたり、芸術はいつも檻の中にとじこめられていたり。例えが、イソップ童話並みの分かりやすさである。もっと捻った批判や笑いができないものか、と思ってしまった(ないものねだりだけどさ)。ちょっと啓蒙的とさえ感じる資本主義、官僚社会批判も、まあ旧ソ連らしいっていえば、旧ソ連らしいけれど。

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