「リトル・ミス・サンシャイン」  2006年  アメリカ

監督;ジョナサン・デイトン & ヴァレリー・ファリス
出演;アビゲイル・ブレスリン ,アラン・アーキン,トニ・コレット, グレッグ・キニア,
        スティーブン・ガレル
2007年7月?日  DVD  自宅ごろ寝シアター

美少女コンテストに憧れるポッチャリ眼鏡の女の子オリーブ、自らの成功論で失敗しているお父さん、ニーチェかぶれで口をきかないお兄ちゃん、恋人(男)にふられて自殺未遂したおじさん、ヤク中の不良おじいちゃん、そんな家族を支えるのにうんざりのお母さん。バラバラ負け組家族が、オリーブの美少女コンテスト決勝出場のために、黄色のおんぼろミニバスでカリフォルニアへ。サンダス映画祭(補足参照)で注目を集めて、小ヒット。アカデミー賞では助演男優賞(アラン・アーキン)、脚本賞を獲得した。
崖っぷち状況ほどコメディタッチで笑わせ、それでいてフェイントで胸をきゅんっとさせつつ、家族が絆を取り戻していく過程をさらりと描き、現代社会も鋭く皮肉る。脚本が面白く、演出のセンスも良い。登場人物のキャラクターも濃すぎて(笑)、なかなか面白い。
日本では、この数年で「勝ち組、負け組」という言葉が定着した感がある。昔から競争社会だったけど、この言葉が登場して以来、所得とか容姿とか、一面的な単純な基準だけで人間を評価する風潮が強くなった。まるで、人生をミスコンみたいに点数をつけて、分かりやすい部分でちょっと劣勢になっただけなのに、「負け組、勝ち組」という言葉が全人格、一生を決めつけるような勢いで人に向けられる。 そうした世相は、日本だけではないらしい。競争社会という点では日本よりシビアなアメリカで、この映画は、こうした価値観に疑問符を投げかけた。負けることで得られるものもあり、人生は競争の勝ち負けだけでは判定できないと。大人の着せ替え人形にされて、舞台で不気味な笑顔で媚びを売るミスコン「勝ち組」の女の子たちより、一緒にダンスしてくれる家族がいて、舞台を元気いっぱいに走り回るオリーブの方がよっぽど魅力的で、幸せ者だ。どっちが人生の勝ち組なのだろう?。
だからと言って、負け組でもいいとか、オンリーワンになればいいとか、そんな甘っちょろいことを言っているわけではない。この映画のメッセージはもっと前向きだ。おじいちゃんはオリーヴに言う「(負け犬の本当の意味は)負けることが怖くて挑戦しないヤツらだと」と。競争社会で生きなければいけないことに変わりなく、旅が終わっても、この家族の問題は何も解決されていない。お父さんも、おじさんも、お兄ちゃんも、再度、競争社会のスタートラインに立たなければ未来はない。でも、旅をする前とは違って、この家族は負けても何度でも挑戦するだろうと予感させる。世間がだれも味方しなくても、運が悪くても、ボロボロになっても、一致団結して背中を押して、支えてくれる家族がいるから。おんぼろバスをみんなで押すみたいに。

補足
サンダンス映画祭は、インディーズのみを対象とした世界最大規模の映画祭。ロバート・レッドフォードは若手映画人を育てるため、「明日に向かって撃て」の大ヒットで得たギャラで、ユタ州に広大な土地を購入し、1978年にインディーズ映画の支援団体サンダンス・インスティチュートを設立した。そして、1985年からサンダンス映画祭を開催。コーエン兄弟、ジム・ジャームッシュ、ソダバーグ、タランティーノなど、サンダンスからメジャーになった映画人は多い。ハリウッド俳優の偉いところは(一部だけど)、映画界のために私費を投じたり、若手監督の作品にも安ギャラで出演したりすること。俳優自身、若い頃から映画化権を獲得したり、プロデュースすることは珍しくなく、俳優というより制作者の一員としての意識が強いのかもしれない。

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「ダイヤルM」  1998年  アメリカ

監督;アンドリュー・デイビス
出演;マイケル・ダグラス,グウィネス・パルトロウ,ヴィゴ・モーテンセン
2007年7月14日  DVD  自宅ごろ寝シアター

破産寸前の夫は、資産家の妻を、妻の浮気相手である若い画家に殺させる計画を立てる。ヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ!」のリメイク。
スリリングな展開で、なかなか楽しめる。ヒッチコック版未見だが、ヒッチコックを意識させない=ヒッチコックとは全く異なる作風。この二点で、リメイクとして評価していいと思う。
登場人物たちの駆け引きが、見どころ。予測不能の出来事によって犯罪計画が狂った時に、利害が異なる当事者たちが裏の裏を読んで、次の行動にでてくる。考える間もなく、瞬時に対応を迫られ、ちょっとでも言動を間違えれば、死ぬか捕まるか。計画は、思惑と違う方向へどんどん転がっていくし、さらに崖っぷちでの駆け引きが待っている。余裕がなくなるなか、それぞれが、どう切り抜けようとするかが、おもしろい。
マイケル・ダグラス、権力と金に汚い男がよく似合う。ヤバッ!と思いつつも冷静に違う手を打つ微妙な焦りの表情、相手に対して咄嗟に一枚上手の小芝居を仕掛ける演技がホントに巧い。グウィネス・パルトロウも、素がお金持ちのお嬢さんのせいか、こういう役は板についている。ヴィゴ・モーテンセンは無難…「指輪物語」アラルゴンの方が格好いい。
! ネタバレあり ! ラストはちょっと不満。妻の正当防衛の繰り返しでは、つまらない。それに、ああいう男は簡単に殺しちゃいけません。悪事がばれて、金も、地位も失い、プライドも何もかもズダズタにすべきでしょ。

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「ホワイト・プラネット」  2006年  フランス,カナダ

監督;ティエリー・ラコベール、ティエリー・ピアンタニーダ
出演;白クマの双子、カリブー、イッカク、アザラシ、北極の動物たち
2007年7月4日  DVD  自宅ごろ寝シアター

北極熊の親子、イッカク、アザラシ、カリブー、ジャコウウシ、クリオリ…北極の動物たちの1年間を綴ったドキュメンタリー。
映像が素晴らしい。巣穴で子育てする北極熊とか、どうやって撮影したのだろう?という驚きの映像の連続だ。知らない世界を見る感動がある。「皇帝ペンギン」も良かったが、本作はさまざまな動物たちが出てくることで、"生態系"という問題が浮かび上がる。春、夏、秋、冬。季節がめぐるごとに、決まったサイクルで、子供を産み、育て、餌を求めて移動する動物たち。氷の大地。過酷な環境で死んでいく者、それを糧にする者。何ひとつ欠けても、この世界が維持できないことが分かる。
そして、温暖化への警告もこめられている。「この世界は、10年後にはないかもしれない」というナレーションが重い。子供にも見せたい映画。

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「ドクトル・ジバゴ」  1965年  アメリカ,イタリア

監督;デヴィッド・リーン
出演;オマー・シャリフ,ジュリー・クリスティ,ジェラルディン・チャップリン,
        ロッド・スタイガー、アレック・ギネス
2007年7月4日  DVD  自宅ごろ寝シアター

19世紀末から第一次世界大戦、ロシア革命、社会主義国建国に至る激動のロシア。医師で詩人のジバゴの人生を、運命の女性ラーラとの愛を中心に描いた物語。
壮大な物語、大陸の圧倒される情景(ロケ地はスペイン、フィンランド)、モーリス・ジャールによる名曲ラーラのテーマ。オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティという華のある俳優、脇は渋い演技派のロッド・スタイガー、アレック・ギネスら。巨匠の貫禄を感ずにはいられない画づくりや演出の細やかさ。少女のラーラにシフォンのスカーフを被せるだけで女を艶やかさを感じさせたり、スターリンの肖像の前を通り過ぎるラーラに「強制収容所で死んだ」とだけナレーションをかぶせたり。ゾクっとするカットがいくつもある。名作だと思うが、今ひとつのめりこめなかったのは、なぜだろう。
ひとつは、ジバゴに感情移入できなかった。それは彼の描き方に原因があるように思う。彼は体制が変わろうが、没落しようが、人生を踏みにじられようが、何一つ変わらなかった。ただラーラと家族と詩を愛し、医師としての使命を果たしつづけ、人間としての誠実さ・プライドを決して失わなかった。その意味で、彼は強い人間である。しかし、悲しいことに、社会主義への体制変革という時代の荒波にあっては、彼のような教養もあり、誠実な人間ほど生きにくく、体制に押しつぶされてしまう。本作では、彼の強さより、処世術もなく、時代に翻弄されるしかないジバゴの方が印象強く描かれる。これに対して、彼の周囲の人間は、どんな状況に陥っても、たくましく生き、愛する人を守り抜こうとする姿が描かれる。ラーラは、不幸になるほど母として強くなっていくし、コマロフスキーは卑劣だが、最後までラーラを見捨てなかった。ジバゴの妻トーニャは、華やかな生活から一転してどん底に落ちても、ジバゴの心がラーラへ向いても、健気にジバゴと家族を支えたし、異母兄エフグラーフは体制側の人間だが、ジバゴたちをつねに気にかけている。そのため、ジバゴが強い人間だと分かっていても、彼ひとりが時代に受動的で、頼りなく見えてしまう。ラーラやトーニャをもっとちゃんと守ってあげなよ、と文句のひとつも言いたくなってしまうのだ。
そして、構成にまとまりがないような気がする("気がする"というのは、アカデミー賞脚色賞を受賞しているので、自分の見方に自信がないのだが)。語り手=物語の視点が定まってない。冒頭は、ジバゴの異母兄が、ジバゴの娘に彼の人生を語るスタイルではじまる。しかし、ジバゴの子供時代へシーンが変わると、異母兄の視点は消え、監督とカメラがジバゴの人生を語りはじめる。その後、第一次世界大戦頃から、突如、異母兄の語りが甦ってくる。冒頭でチラッと出た異母兄なんて忘れかけた頃に、この人だれだっけ?みたいな感じで、ベラベラと彼が語りはじめる。話が壮大なので、時間的に飛ぶところや、サラッと流したいところで、彼のナラタージュで説明されることが分かる。戦後は、異母兄の視点、監督の視点が行ったりきたりしながら、だんだんと異母兄の語りの部分が増えていき、冒頭のシーンに戻る。物語全部、彼がジバゴの娘に語り聞かせたことと理解すべきなのだろうが、彼の視点では分からないはずのこと、例えば、ジバゴの青年時代とか、ラーラとジバゴのふたりだけの世界とか、そこは監督視点でドラマチックに展開されていくから、異母兄の語りを都合良く利用しているような、構成に一貫性がないような、まとまりがない感じを受ける。
と、気になる点はあっても、3時間があっという間の作品だった。私はラストシーンが好きだ。人生の無常を感じさせる。娘は輝かしい社会主義国家の労働者だ。時代の大きな渦のなかに、ジバゴとラーラの人生は消えてしまって、娘は、父母がどんなふうに愛し合って、自分が生まれたのか知らない。でも、バラライカの才能はジバゴが娘に残したものだ。「血筋だな」。異母兄アレック・ギネスのセリフに、私の脳内では、近代的な巨大ダムにかかる虹に、ジバゴとラーラの人生が走馬燈のようにオーバーラップして、感慨深いものがこみ上げてきた。
1966年の第38回アカデミー賞のデータを見て驚いた。「ドクトル・ジバゴ」は、撮影賞、作曲賞、衣装デザイン賞、脚色賞を受賞。作品賞・監督賞は、ロバート・ワイズ「サウンド・オブ・ミュージック」。主演女優賞はジュリー・クリスティだが、「ダーリング」という別の映画での受賞である。オマー・シャリフはノミネートされていない。作曲賞はミシェル・ルグランの「シェルブールの雨傘」を押さえての受賞だった。脚本賞ノミネートにも「大列車作戦」「シェルブールの雨傘」「素晴らしきヒコーキ野郎」などが並ぶ。デヴィッド・リーンは作品賞・監督賞を取れなかったのを悔しがったみたいだけれど、この力作揃いのなかで4部門受賞は凄い。近年、こんな激戦のアカデミー賞は見たことない。原作者のボリス・パステルナークのことも書きたかったけど、エネルギー切れ…ミ(ノ;_ _)ノ

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