「渚にて」  1959年  アメリカ

監督;スタンリー・クレイマー
出演;グレゴリー・ペック,エヴァ・ガードナー,フレッド・アステア,アンソニー・パーキンス
2008年6月?日  DVD  自宅ごろ寝シアター

dvd 1964年第3次世界大戦が勃発。核兵器により北半球は全滅、人類が生存しているのはオーストラリア周辺だけとなった。難を逃れ、帰還できなくなったアメリカの原子力潜水艦がメルボルンに入港する。しかし、オーストラリアにも放射能汚染が迫りつつあった。原作はネヴィル・シュートの同名小説。DVD写真はカラーだけど、映画はモノクロ。
この静けさが恐い。放射能汚染が迫るなか、人々はどのようにして人類滅亡を受け入れていくのか。戦闘も核爆発シーンもなしで、核の恐怖を描いた傑作。核戦争の映画では、キューブリックの『博士の異常な愛情』(1964年)、『ザ・デイ・アフター』(1983年,米テレビ映画)などが有名だが、これらの作品とは真反対の方向から核の恐怖にアプローチする。
サンフランシスコから謎のモールス信号が送られてくるエピソードが秀逸。謎めいているし、人類生存への一縷の望みも見えてきて、中だるみしそうなところで、ぐぐっと話に引き込まれていく。モールス信号の正体は意外なもので、なぁんだと思う(見てのお楽しみ)。しかし、そこには、例え人間がいなくなっても、数日前まで人間がいたことを想像させるモノは厳然と存在して、動き続けている光景があって、人類という種の脆さを寒々と感じてしまう。(映画とは関係ないけれど、私は廃墟があれば、必ず入ってしまう廃墟好きなのだが、それは人間がいなくなった後の世界を想像するからなのかもしれない。)
滅亡を前に、人々が思うのは、核戦争を起こした馬鹿な権力者への恨みではなく、自分の人生に対する後悔だ。それが哀しい。夢を追わなかったこと、人をちゃんと愛さなかったこと、新しい命を育てられないこと…。アメリカで家族を失ったグレゴリー・ペックと、独り身のエヴァ・ガードナーの恋愛を中心にさまざまな人間模様が展開される。一般的に人類滅亡映画は、終末が近づくほど、人々は慌てふためきパニックに陥っていくが、本作は逆。滅亡が近づくほど、演出はどんどん抑制され、人々はどのように死を迎えるかをそれぞれ選択していく。とりわけグレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナーの別れのシーンは静かで美しい。核戦争については触れらず、人々の終末への準備と覚悟が淡々と描かれるだけなのに、人間の愚かさを感じずにはいられない。
キャスティングが絶妙。グレゴリー・ペックは十八番の紳士役でそつがない。エヴァ・ガードナー、フレッド・アステアは俳優としてのピークは過ぎているが、役柄と合っていて、ベテランの味わい深い演技を見せてくれる。そして若手のアンソニー・パーキンス。どことなく暗ーい表情、台詞回しが印象的で、この作品の後に出演した代表作『サイコ』(1960)の雰囲気が既にできあがっている。
私も冷戦時代を多少生きた世代なので分かるが、今よりずっと核戦争の恐怖を感じていた。核戦争2分前とかいう終末時計がよく話題になったりしてさ。映画でも核という問題を扱う以上は、どの作品も社会に対して核の恐怖を真面目に訴えていた。しかし、冷戦終結後、特にアメリカ映画で核の扱いが軽くなったように思う。フィル・アルデン・ロビンソン『トータル・フィアーズ』(2002年)を見た時、あまりにも安直に核を爆発させちゃったんで、あ然とした。。。ああ時代は変わったなと思うと同時に、最大の核保有国であるアメリカ人の核に対する意識の低さに危機感を持った。『渚にて』のラストカット。人類滅亡の直前に牧師が説教をしていた時の横断幕「There is still time, Brother」(兄弟よ、まだ時間はある)が、無人の街で風にはためている。これは観客へのメッセージでもある。この50年前の映画のメッセージに、残念だけど、いまだにドキッとさせられる。核の恐怖はまだ終わっていないのに、軽く見られていることはますます危機的だし、温暖化とか、病気の世界的流行とか、人類滅亡の要素は核だけじゃなくなった。"まだ時間はある"と言えなくなる日が、私の生きているうちにくるかもしれないな。
ちなみに、世界終末時計まだありました。2007年北朝鮮の核の脅威で2分進んで、現在、5分前だそうです。

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