「ノーカントリー」  2007年  アメリカ

監督;ジョエル・コーエン,イーサン・コーエン
出演;トミー・リー・ジョーンズ,ハビエル・バルデム,ジョシュ・ブローリン
2008年3月?日  TOHOシネマ

dvd 1980年代テキサス。モスは麻薬密売に絡んだ大金を持ち逃げするが、殺し屋シガーに執拗に追いかけられることに。彼らの行く先々に死体が転がる。老保安官のベルが、彼らの追跡を始めるが…。アカデミー作品賞ほか4部門受賞作。コーエンの最高傑作。
コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』(扶桑社)が原作。しかし、コーエンの凄さは、原作があってもコーエンにしか創れない作品にしてしまうところだ。物語は論理的に展開し、人物も理性的に動いているのに、どこへ転がっていくのかサッパリ分からない。見終わった後は、非論理的な、何もかもが噛み合わない違和感だけを残していく。コーエン・マジックと称される個性的な作風を持つだけに、カルトな監督(少数の熱狂的ファンに支持される監督)だと思っていた。コーエン作品には、セリフやシーンに、シニカルな"間"があったり、暗喩的、絵画的な美しい映像が長回しで入っていたり…、悪夢にうなされているような浮遊感があって、私はそこに一番魅力を感じていた。しかし本作は、そうした優雅さ、悪く言えば冗長さが削ぎ落とされ、その分、ディテールにこだわった演出が鋭く光り、作風の好き嫌い云々を超越して、どんな人をもコーエン・マジックに引きずり込む緊張感ある作品になっていた。
原題は「No Country for Old Men」。邦題で"for Old Men"を省略するのはマズイと思う。"for Old Men"が作品のなかで、重い意味を持っているからだ。シガー、モス、ベルの三つ巴の追い駆けっこは、世代の追い駆けっこでもある。人を家畜のように殺しまくる不気味な殺人者シガーの前から、ベトナム帰りのタフな男代表のモスはあっけなく消え去り、そして銃を持たない古き良き時代代表である老保安官ベルは何もできなかった。というより、シガーもモスも、ベルなど全く眼中に入っていなかった。いないのと同じ。なぜシガーはベルを殺さなかったのだろう。最初に見た時から、ずっと引っかかっていた。シガーには厳格な行動原理があり、やみくもに人を殺しているわけではない。ベル自身は追い駆けっこに参加してるつもりで、めったに抜かない銃を手に、決死の覚悟であの部屋へ乗り込んでいくわけだけど、シガーにとってベルは殺す理由もない、どーでもいい人だった。つまり、老保安官は殺人者に歯牙にも掛けられず、最後までひとり相撲をとっていたってことだ。時代に取り残された老保安官ベルの虚しさ・喪失感は、最後、夢の話を暗喩に、詩的に表現される。私はこの終わり方は、コーエンらしくてかなり好きだ。とはいえ、昔は良かったという単純な話でもないということは、付け加えておこう。あの殺人者シガーでさえ、予測不可能な時代の流れのなかで古びていくのだから。
コーエンの犯罪映画では、どの作品も「金」が嫌というほど絡む。お金のために、いとも簡単に犯罪に手を染め、人殺しも躊躇しない犯罪者については、細かいところまで生々しく描かれるのに、金で買えない幸福や正義はなんと空々しいことか。老保安官ベルに、『ファーゴ』の女性警官にと同じ虚しさを感じた。実際、本作でも、お金で良心は消え、大概のことが解決してしまう。コーエンを見始めた頃はあまり意識しなかったが、ここまで「金」にこだわるのは、コーエン流の拝金資本主義に対する批判なのかしらん?と思う。
そして、ディテールフェチな描写には、ホントにしびれた。R15指定になるぐらいの暴力描写はある。しかし、もっと凄惨な暴力描写の映画はいくらもある。直接的な暴力シーンより、もがいた靴の跡とか、流れる血を踏まないようスッと靴を上げたり、靴の裏をチラッと確認するところとか、そういう静的なシーンにぞぞぞっーとする。終盤へ行くほど、ストーリー展開で重要なところは殆ど見せず、終わった後の痕跡をチラリと見せるだけで、何があったのか想像させる。これには唸ってしまった。
おかっぱ頭の殺人者を演じたハビエル・バルデム。インパクトある顔立ち、大柄で、変な色気もあって見た目が個性的、しかも役へのなりきり方が半端じゃない演技派なので、今回のように強烈な役を演じることが多い。名優より怪優に成長しているような気がする…。最近は、ウディ・アレン監督『それでも恋するバルセロナ』(未見)にペネロペと共演した。どうでもいいことだが、ペネロペのリアル恋人でもある。なーんか想像できないんだよぉ。

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