「我が至上の愛〜アストレとセラドン」  2007年  フランス=イタリア=スペイン

監督;エリック・ロメール
出演;ステファニー・ド・クレイヤンクール,アンディ・ジレ,セシル・カッセル他
2009年2月?日  銀座テアトルシネマ

dvd 17世紀の作家オノレ・デュルフェが、5世紀のガリア地方を舞台に書いた恋愛小説が原作。羊飼いの少女アストレと青年セラドンは愛し合っていた。アストレはセラドンが浮気したと勘違いして「私の前に二度と現れないで」と言ってしまう。セラドンは川に身投げするが、美しい妖精に助けられる。アストレとセラドンの恋の行方は?。エリック・ロメールの遺作。
神話要素を含む歴史劇。セリフの言葉自体は演劇的だし、衣装も時代がかっている。が、現代の自然風景でのロケーション撮影、セリフの言い方も日常的な感情表現程度に抑え、所作も普通。つまり、ローメールは、5世紀の古めかしい寓話的歴史劇を、他の自身の現代恋愛映画と同じスタイルで演出しているため、どうしても違和感が否めない。例えば、アストレの登場シーンからして、そこらの野山を、時代劇衣装をまとった現代人がスタスタ歩いてくるように見えるのだ。映画というよりは、古典劇を野外劇場で鑑賞している感覚に近い。
私の想像だが、監督は敢えてこういう冒険をしたのだと思う。以前、同監督『緑の光線』のCinemaDiaryを書いたときに、「恋愛観」を語る監督だと書いた。それは本作でも同じなのだが、彼が最後に語りたかった恋愛観は、現代には失われており、歴史を舞台に借りるしかなかったのではないかと思う。現代の恋愛では、悲しいが、駆け引き、打算などが全くなしというわけにはいかない。愛する人にひたすら従順で、素直に愛を打ち明け、嫉妬や後悔さえ包み隠さない。そして、愛する気持ちが、男だろうが女だろうが(^◇^;)、倫理感とか計算とか抜きに、自然と肉体を求め合う。日本の「万葉集」にも通じるような素朴で大らかな恋。こんな恋は、現代どころか、既に原作が書かれた17世紀には小説のなかにしかなく、人々の憧れになっていたのである。
実をいうと、私は、やっぱりロメールは、こんな分かりやすい恋ではなく、素直にが恋心を表せなくなってしまった現代人の複雑な心の揺れを、繊細に描き出すのが巧いと思うし、共感できる。でも、いろんな恋を撮り続けたロメールが、最後に、恋の原点に回帰して、恋の純粋な悲しみや喜びを見せてくれたことに感動した。ロメールの遺作にふさわしい作品だと思う。

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