「カティンの森」  2009年  ポーランド

監督;アンジェイ・ワイダ
出演; マヤ・オスタシェフスカ, アルトゥル・ジミイェフスキ, ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ
2010年2月?日  岩波ホール

dvd 1939年、ポーランドはドイツとソ連から侵略され、分割占領された。この時、ソ連の捕虜となった1万数千人のポーランド人将校が消息不明となり、数年後、遺体がカティンの森から発見された。ドイツはソ連の、ソ連はドイツの犯行としたが、戦後、ソ連の支配下に置かれたポーランドでは、この虐殺事件の真相究明はタブーとなった(↓補足参照)。カティン虐殺事件を将校達を待つつづける家族の側から描いていく。
物語が3つの家族を軸に展開する。それが全体の構成を複雑にしてしまっているが、カティンの森事件が様々な視点から捉えられることになる。生きていることを疑わず帰りを待つ者、カティンから逃れソ連に従軍することに良心の呵責を感じる者、自らの命をかけてもソ連に絶対に罪を認めさせようとする者、レジスタンスに加わる者、カティンには目をつむり体制のなかに生きる道を見いだす者…しかし、監督はどの生き方も否定していない。どんな選択をするにせよ、虐殺者の嘘で固められた支配体制の下で生きることを強いられた人々=ポーランドの苦悩と憤りが重苦しく伝わってくる。
監督がいちばん撮りたかったのはラストシーンなのだろう。数年前にNHKでアンジェイ・ワイダ監督のドキュメンタリーを見た時、ソ連の検閲下では暗喩を用いざるを得なかったと語った。代表作『灰とダイヤモンド』『地下水道』を見ても、表現が制約されるなかで非常に凝った映像や演出で支配者ソ連への批判を匂わせる。しかし、このラストはストレート。流れ作業で人が虐殺されていくシーンが淡々とつづく。まるで工場のベルトコンベア。観客に考えたり、感じたりすることも許さない、ただひたすら虐殺という歴史事実に向き合わせる。最期の祈りの言葉をとなえる兵士に、ルーティンワークでもしているかのように銃を向けるソ連兵。他のシーンでも、兵士の祈りやロザリオなどが印象的に入るが、神を捨てた国(共産主義)とはこういうことだと言っているようにも思える。後から知ったのだが、最後のシーンで使われた銃はワルサーP38、ルガーP08。ドイツ製。つまり、ソ連は最初からドイツナチスの犯行にするつもりだったことがここから分かる。
そして、最後、夫の帰りを待つ妻に届けられる”メモ帳”。どんなに証拠隠滅しようが、恐怖政治をしようが、真実は必ず小さな針の穴をすり抜けてでも絶対に明るみにでる。そんな監督の執念が込められているような気がした。ちなみに監督の父親もカティンの犠牲者である。
映画を見終わった時、「20世紀は虐殺の世紀だった」堀田善衛の言葉が思い浮かんだ。

補足 カティン虐殺事件について
1939年、ポーランドはドイツとソ連に分割占領される。翌40年4-5月頃頃にソ連NKVD(後のKGB)は捕虜となったポーランド人将校1万数千人を虐殺し、カティンに埋めた。41年6月に独ソ戦が勃発し、対ドイツという点でポーランドと利害が一致したソ連は、ポーランド人捕虜を解放し、ポーランド軍が編成された。しかし、この時、将校1万数千人の消息不明が明るみになった。ポーランド側はソ連に問い合わせするも、言い逃れの回答しか得られなかった。41年秋にドイツがカティンを占領し、43年4月にカティンに埋められたポーランド将校の遺体を発見した。遺体は7つの穴に幾層にもなって埋められていた。ドイツ・ポーランド赤十字社という中立的機関により調査が開始され、40年春頃にソ連によって虐殺されたと結論づけられた。この時、映画にも登場する調査記録フィルムも撮影された。しかし、同年6月にソ連軍がカティンに迫り、調査は中断された。
43年9月、カティンはソ連により解放され、今度はソ連による調査が開始された。ソ連は、ドイツが虐殺したという報告を発表、これも映画のなかで登場するが、でっちあげ記録映画まで撮影した。このでっちあげ記録映画撮影のために、新たに千人の捕虜を殺害して埋めたと言われている。44年にワルシャワ蜂起。1945年5月ドイツが無条件降伏し、ポーランドがソ連の衛星国なると、カティン虐殺事件の真相究明はタブーとなった。
虐殺した理由はソ連統治をしやすくするため。訓練を受けた将校たち=指揮官がいなければ、ソ連への抵抗勢力は組織的に闘争することができなるから。ソ連がこの虐殺を認め、ポーランドに謝罪したのは50年後、1990年ゴルバチョフ大統領の時であった。

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「ジュリー&ジュリア」  2009年  アメリカ

監督・脚本;ノーラ・エフロン
出演;メリル・ストリープ,エイミー・アダムス
2010年2月14日  ワーナー・マイカル・シネマズ

dvd 1949年、夫の赴任先フランスで料理に目覚めたジュリア。本格的に料理を学び、アメリカ家庭料理に革命をもたらしたと言われるフランス料理の本を出版、料理研究家として有名になる。その50年後。作家への夢破れ、つまらない日常を送っているOLジュリー。ジュリアのレシピを1年間で制覇し、ブログに綴ることを決意。いつしか人気ブロガーになっていく。実話を基にした二人の物語。
ノーラ・エフロンは、だれもが楽しめて、心あたたまる上質の娯楽作をつくる。好きな監督である。『めぐり逢えたら』(93年)、『ユー・ガット・メール』(98年)などが代表作。本作も、50年前の女性が仕事することの壁、仕事仲間との人間関係、50年前ほど窮屈ではないのに現在の女性が感じる空虚感、夫との衝突など…女性なら共感できる悩みが、彼女らしく、ちょっぴりコミカルに、テンポ良く描かれていく。しかし、致命的な点がある。それは料理がちっとも楽しそうじゃないこと。ジュリアにとっては料理は料理家として精進すべき道であり、ジュリーにとってはブログのネタでしかない。要は、ふたりにとって料理は世に出るための手段であり、そのためキッチンでの人間関係や、料理シーンが殺伐としている。世に出るには楽しみだけで作っていられないのも分かるが、もうちょっと美味しいご飯を作るという楽しさ、美味しいと言ってもらえた時の喜びを出せなかったか?と思う。
そして、あのメリル・ストリープが痛々しい。ジュリアは185センチと大柄で、甲高い声で、特徴ある人だったらしい。メリル・ストリープは完璧にジュリアになりきっているけど、素がジュリアとかけはなれており、無理をして物真似しているという感じがどうしても否めない。もうちょっと、大柄で、美人すぎず、ジュリアのイメージに近い女優の方が良かったのではないかと思う。エイミー・アダムスはキュートでよかった。メグ・ライアンと雰囲気がよく似ている。ノーラ・エフロンが好きなタイプなのかもしれない。

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