「ディア・ハンター」 1978年 アメリカ
監督;マイケル・チミノ
出演;ロバート・デ・ニーロ,クリストファー・ウォーケン,ジョン・サヴェージ,ジョン・カザール,メリル・ストリープ
2011年4月27日 府中TOHOシネマズ午前十時の映画祭
ロシア移民系の町、製鉄所で働くマイケル、ニック、スティーヴンは仲の良い友だち同士。仕事が終わった後は飲んで、将来を約束する恋人もいて、休日には鹿狩りに行き…青春を謳歌している。しかし、3人は徴兵されヴェトナム戦争へ赴く。戦場は青春を終わらせ、それぞれの人生を変えていく。強く心に残っている映画の一つ。
最小限のシーンで最大限の効果が特徴。3時間の大作だが、「出征前」「戦場」「戦後」の三つに分けられる。シーンは絞り込まれ、したがって1シーンは長くじっくり展開される。「出征前」と「戦後」に多くの時間を割き、「戦場」は意外に短い。
「出征前」は、ほぼ結婚式と壮行会、鹿狩りのシーンだけだが約1時間。同じ職場で働き、友だちの結婚を心から祝福し、飲んで馬鹿騒ぎしてキツいジョークを言い合ったり、鹿狩りでは男同士で語りあったり。彼らの青春はまぶしい。もし何事もなければ、みんなこの町で結婚して、子供を産んで、豊かではないかもしれないけど幸せな家庭を築いて、じいさんになるまで鹿狩りにも行って馬鹿やって、この友情はずっと変わらぬままに生きていくんだろうなと思わせる。この冒頭が長すぎるという人もいるけれど、ここで、観客を彼らの青春にぐっと寄り添わせ、この延長上にあるそれぞれの人生を想像させるぐらい、一人一人とその関係性をじっくり描くからこそ、後半、戦争によって変わってしまった人生と友情が、とてつもない重さをもって胸に迫ってくる。酒場で飲んでいるところにヘリコプターのバラバラバラバラ…という音が重なり、戦場のシーンへと突然変わる。平凡で幸福なはずの人生が一転する、このシーン切り替えもうまい。
「戦場」では、戦闘は殆ど描かれず、ほぼロシアンルーレットのシーン。これもよく議論になるけど、このロシアンルーレットがベトナム戦争で実際にあったかどうかは、私はどうでもいいと思う。少なくともこの映画のなかではリアリティがあり、このシーンだけで、死ぬのも生きるのも地獄、身体も精神も凄惨極まりないところに追い詰められることは嫌というほど分かるし、そういう戦争だったのは事実だと思うから。
彼らがロシア系移民ということも考えねばならないだろう。ベトナム戦争はソ連・社会主義圏をバックにした北ベトナムとアメリカ・資本主義圏の代理戦争だから。冒頭の結婚式はロシア正教会だし、パーティではロシア民謡でフォークダンスを踊ったり。ロシアの伝統文化のなかで生活している彼らは、アメリカ人としてベトナム戦争に出征する。そして、この戦争の非人間性をロシアンルーレットで表現したのは、旧ソ連との戦争でもあることを暗喩してるのではないかと思う。しかし、ラストシーンで全員で歌うのは「God Bless America」なのである。ロシア人というアイデンティティも持つ彼らが、こんだけアメリカという国に翻弄され、人生を奪われながらも、「アメリカに祝福あれ、我が愛する故郷」と粛々と歌う。この国で生きていく決意を自分たちに言い聞かせてるようで、やり切れない気持ちになる。反戦は戦争を知ることから。映画はニュースやドキュメンタリーでは伝わらないことを伝える。戦争によって、得られるはずだった幸福を失った人は、どれだけいたのか。
音楽はギター曲「カヴァティーナ」。優しいギターの調べが、彼らの青春、失われた人生を包み込むよう。書くまでもないけど、出演は当時の実力若手俳優たち。ロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、ジョン・サヴェージ、ジョン・カザール、メリル・ストリープ。特にデ・ニーロとウォーケンの渾身の演技には涙が出る。本作公開を待たずにガンでなくなったジョン・カザールは残念だったけど、そのほかの俳優たちはみんなハリウッドを代表する大物俳優になった。
『ディア・ハンター』 テーマ曲「カヴァティーナ」
「蜘蛛女のキス」 1986年 ブラジル・アメリカ
監督;ヘクトール・バベンコ
出演;ウィリアム・ハート,ラウル・ジュリア,ソニア・ブラガ
2011年4月?日 DVD 自宅ごろ寝シアター
軍事政権下の南米某国の刑務所。同じ監房に対照的な男二人が収監されていた。一人は反体制派運動の闘士で政治犯のバレンティン、もう一人はホモセクシャルで未成年への性的犯罪で捕まったモリーナ。最初は全く相容れない二人だったが、モリーナが退屈しのぎに語る映画のストーリーがバレンティンの慰めになり、次第に心を通わせるようになっていく。原作者マヌエル・プイグ。
殺風景な監獄、ほぼ男とゲイの会話劇だが、前半は監獄とは別世界の映画ストーリーが映像化されることで起伏と開放感を与え、後半は二人の関係の変化、モリーナの真意がどこにあるのか?という謎が加わり、結末に向かうにつれ徐々にスピード感を増していく。現実を変革しようとするバレンティン、一方で現実逃避して空想にふけるモリーナ。二人は水と油だけど、真実の愛の映画ストーリーを媒介に、互いの過去が少しずつ明らかになり、結ばれない恋をしてきた二人を自然に近づける。脚本・構成が良いのだと思うけど、物語の展開やシーン運びが上手くて、最初はそうでもないんだけど、どんどんのめり込んでいく。
見終わってから、ひとつの疑問が浮上した。モリーナは果たして本当に映画の話を語ったのか?。映画の主人公レニ、蜘蛛女に、あまりにもモリーナ自身が投影されているから。あれはモリーナの愛の告白だったのではないかと思えてくる。人間である以上、性別、立場、社会的地位、思想…いろんな糸に絡め取られている。でも、恋はそういう秩序を超えて落ちてしまうもの、例え自身を捧げたとしても、決して一緒になれないと分かっていても。蜘蛛女の涙はモリーナの涙なのだろう。ヴァレンティンは自分の信念のために強くなれる男だが、モリーナは愛のために強くなれる男。「本当の男」には二度と出会えないから、モリーナは彼のためだけに生きることを選んだ。なのに、ヴァレンティンの見る夢は…切ないなぁ(T-T)。つまるところ、これこそ純愛映画の傑作だと思う。
モリーナ役のウィリアム・ハートが素晴らしい。彼じゃなかったら、凡庸な映画になったんじゃないかと思うほど。彼は優しい顔立ちだけど、背は高いし、体はがっちりしてるし、しなをつくり、おねぇ風なセリフ回しで登場した時はちょっと違和感があった。でもすぐに違和感はなくなり、どんどん魅力的に、愛おしくなり、最後の方は瞳のなかにモリーナの純粋さが見えたほど。当初、モリーナ役はバート・ランカスターが予定されていたと知り、驚いた。だってバート・ランカスターって85年頃はもう70才過ぎ、ちょっと無理があるような…。確かに目が優しくて、口元がエロくて…モリーナ役に合うかもなぁとは思うけど。しかし病気で降板し、急遽ウィリアム・ハートが浮上したらしい。ウィリアム・ハートで正解だったんじゃないかなぁ。ウィリアム・ハートは、本作でカンヌ映画祭男優賞とアカデミー賞主演男優賞をダブル受賞。これを達成したのは、彼以外では『イングロリアス・バスターズ』のランダ大佐役クリストフ・ヴァルツぐらい。
「英国王のスピーチ」 2012年 イギリス
監督;トム・フーバー
出演;コリン・ファース,ジェフリー・ラッシュ,ヘレナ・ボナム・カーター
2011年3月27日 TOHOシネマズ
ジョージ6世が王妃エリザベスとセラピストのライオネルとともに吃音を克服していく過程が、兄エドワード8世の"世紀のスキャンダル"(2度の離婚歴があるアメリカ人女性と結婚するために王位を退位した事件)と並行して描かれる。
僭越ながら、私はジョージ6世の辛さがちょっと分かるな。私は障害はないけど、言葉がうまく出ない時があるから。やっと一言出ても、続く言葉がまた出ない。それって大体、自分に自信がない時。ジョージ6世は小さい頃から病弱で、左利きやX脚まで虐待まがいの方法で強制され、成績も悪く、いつも何でも器用にこなす兄と比べられた。大勢の前に晒されるのが苦手なのに転職もできない。そりゃ言葉も出なくなるって。ジョージ6世=バディ、ライオネル=ローグと愛称で呼び合い、バディはローグに王妃にも言えなかった愚痴や悩みをはき出す。治療として強制的にやったとはいえ、そこまでぶつけた相手とは信頼と友情が自然と芽生えてくるところがおもしろい。ジョージ6世に必要だったのは、治療というよりは、対等に何でもモノが言い合える信頼できる人間だったのかもね。
ジョージ6世が即位する前後のイギリスは、国力は凋落してアメリカに覇権国としての地位を奪われてしまうし、ドイツとは対立して第二次世界大戦前夜だし、それなのに国王となるべき兄のエドワードは責任感まるでなしで女性と好き放題してるし…イギリスをとりまく状況も、王室内部の軋轢も、実際はこんなに甘っちょろくはなかったんじゃないかと想像する。しかし、そこは背景として触れるだけにとどめ、ジョージ6世とライオネル・ローグ、王妃を中心とする人間関係を密に描くことで、心温まる映画になった。
配役が良かったと思う。ジョージ6世に、何を演じてもどこかオドオドしてるコリン・ファース、親しみやすいと言われたエリザベス王妃には、若い頃は可憐なお嬢さんだったのに、近ごろは悪女や汚れ役までやってのけてすっかり貫禄がついちゃったヘレナ・ボナム・カーター、ライオネル役に一癖二癖ある役ばかりで芸達者なジェフリー・ラッシュ。特にコリン・ファースのオドオドっぷりには「が、がんばれ!」と思わず応援したくなるほどたったよ。