「家族ゲーム」  1982年  日本

監督;森田芳光
出演;松田優作,宮川一朗太,伊丹十三,由紀さおり
2011年8月?日  DVD  自宅ごろ寝シアター

dvd

沼田家。優秀な兄に比べ、成績がパッとしない茂之。高校受験のために家庭教師の吉本がやってくる。吉本は三流大学7年生、植物図鑑を持ち歩く風変わりな男だった。家族崩壊をシュールなタッチで描く。
私はこの映画を多分87-88年頃に見ているが、今見直すと、この家族を通して80年代という時代の空気が伝わってくる。それは一言で言うと「軽薄」。高度成長が行き着いた先の80年代には「一億総中流」と言う言葉が生まれたように、失業や貧困の心配もなくなって生活は安定し、格差も縮小した。だれもが経済成長は永遠に続き、ますます豊かになるのが当たり前と考えるようになり、ブランド品を持ったり、リッチな食事をしたり、海外旅行をしたり、お金で楽しむことに憧れ、それが格好いいことになった。大人たちは人から羨まれるようなステキ「中流」生活を誇示することに喜びを感じ、若者たちも、夢に向かって地味にコツコツ努力するのはダサくなり、何をしたいか分からないけど、とりあえず卒業したら給料の良い大企業に入社できそうなブランド力のある学校に入ることが目標になった。ま、乱暴な見方だけど、そんな空気があった時代。
この映画は、80年代の中流家族を皮肉っている。この家族も「軽薄」。自分以外の家族+家庭教師は、互いに互いのゲームのコマ。誰をどう動かしたら、自分が一番楽で有利に目的を達成できるかという原理で動いている。親は次男茂之をレベルの高い高校に入れたいけど、いろいろ難しいお年頃の彼に向き合うのは嫌。勉強も、勉強以外のことでも面倒なことは家庭教師に押しつけ、家庭教師に対してはお金で動機付け。なので、家庭教師は茂之に勉強させるために容赦ないことも言うし、手荒なこともする。一方の子供はというと、良い高校に入った兄は何がやりたいのかよく分かってないし、茂之は自分のためというより、成績が良くなると、いじめっ子が悔しがって面白いという理由で成績が伸びていく。親はそんな事情を全く知らないし、知ろうともしない。こんな希薄な家族関係を、短くインパクトのある会話、独特の「間」、ロングショットの多用、横並びの画面(人間が向かい合って話をしない)など、野心的な方法でさまざま見せていく。ありふれた日常なんだけど、微妙に現実離れした雰囲気と毒があって、思わずクスリと笑ってしまう。おもしろいシーンを紹介したいけど書き切れないので、下に張りつけた予告↓でその雰囲気を見てちょーだい(←手抜き・汗)
本筋とはあまり関係ないけど、もう一つ、この映画で私が80年代の空気を感じたもの、それはご近所の奥さん・戸川純の存在。80年代「ネアカ」「ネクラ」という言葉が流行った。この言葉も「軽薄」の時代を象徴するものだけど、「ネアカ」=オシャレで、明るく、友だちもたくさんいて、後腐れなくクールに楽しく遊べる人が好まれ、逆に「ネクラ」=地味で、内向的で、社会や生き方とか小難しいことを考えたり、ウジウジ悩むような人や、またあまり理解が得られない趣味を極めるような「オタク」(今とは意味が違う、否定的)は面倒くさがられた。そして、戸川純という女優は80年代「ネクラ」のアイコンだった。映画のなかで、戸川純はそのイメージ通りの「ネクラ」な奥さん役である。彼女は、舅の介護を一生懸命やっていたり、近い日にくるだろう葬式のことを真剣に悩んでいたり、沼田家の奥さんと横並びではなく向かい合って対話しようとしたり、唯一、まともな人間関係を築こうとしている人に見える。でも、沼田家の奥さんにとってはうざったい人として描かれている。
吉本を演じた松田優作は高く評価され、彼の代表作となった。といっても、彼の演技はワンパターンで、もとから破天荒・狂気キャラが得意だったけど、その演技がそれまで演じてきたハードボイルド系ドラマの刑事役や犯人役とは、全く違うジャンル・違う役柄で生かされたということなんだと思う。彼をキャスティングした人が偉い。
グダグダ偉そうに書いてきたけど、この映画はあくまでコメディ。教訓めいたことやメッセージ性がないから、このヘンテコな家族と家庭教師を純粋におもしろがれるんである。森田監督は、吉本はゴジラだって言ってたらしい。海からやってきてぶっ壊して帰っていく。理性もない、狂った破壊者。だから、リメイクされたドラマのように家庭教師吉本がS井翔のような優等生俳優だったり、実は良い人だったり、家族再生を導くなんてことまですると、オリジナルを知る者としては…何かシラケちゃうの。

『家族ゲーム』予告

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「スカーフェイス」  1983年  アメリカ

監督;ブライアン・デ・パルマ
出演;アル・パチーノ,ミシェル・ファイファー,スティーヴン・バウワー
2011年8月?日  DVD  自宅ごろ寝シアター

dvd キューバ移民のトニー・モンタナが暗黒街の頂点に成り上り、破滅するまでの物語。ハワード・ホークス『暗黒街の顔役』(1932年)のリメイク。脚本オリバー・ストーン。
3時間もある映画。長編一代記ものにありがちなダレがなく、長さを感じなったな。脚本オリバー・ストーンだけあって(『ミッドナイト・エクスプレス』脚本、『プラトーン』監督脚本)、最初から最後まで緊張感あるシーンの連続。バイオレンスシーンが多いことでも話題になったけど、暴動のなかでの殺しの高揚感、チェーンソー脅迫のじわじわ来る恐怖、ボス殺しの一触即発感、最後の自暴自棄の派手な銃撃戦と…どれも違う恐怖と緊張で、もうビビりまくり。成り上がるまでは、ターニングポイントになるような事件を得意の長回しなんかも使ってじっくり見せて繋いでいき、ついでに破滅への伏線も仕込み、頂点に立って以降は、短いシーンを重ねて徐々に疾走感を増していき、破滅まで、坂道を転げ落ちるように一気に見せる。ブライアン・デ・パルマは演出の引き出しが多い監督だと思う、まったく飽きさせないよ。
主人公トニーが映画史上最強のクズ。底なしの欲望と野心をギラつかせ、成り上がるためには手段を選ばず。命がけでハッタリもかますし、裏社会の秩序もルールもへったくれもなし。血しぶきドピュドピュまき散らしながら成り上がっていく。何かっつうと、fu○k!、f○ck!とわめきちらし、カネがあれば世界も手にできると本気で思ってる馬鹿で、ついでに服も、車も、インテリアも成金趣味でダサい(笑)。裏社会の頂点に立っても、チンピラはチンピラ。しかし、この空気読めない不愉快男に目が釘付けになるのは、アル・パチーノだから。もともと実力ある俳優だけど、この映画の演技は神がかり的。もうネ、葉巻とヘロインの入り混じった口臭までプンプン匂ってくるような勢いよ(かいだことないけど…)。『ゴッド・ファーザー』のマイケル・コルレオーネと同じ人が演じているとはとても思えない。ついでに、情婦役のミシェル・ファイファーが美しい!。
今では、ギャング映画、バイオレンス・アクション映画を語る上では必ず取り上げられる作品だけど、公開当時は「下品だ」と評価が低く、なんとラジー賞ノミネートまでされていたとのこと。デ・パルマは反社会的な人物を描くことが多いし、残酷シーンで物議を醸したこともあるし、知識人ぶった映画評論家に喧嘩ふっかけてるようなところがあるんじゃないかなぁと思う。ラジー賞上等!みたいな。当時、ギャング映画の金字塔は『ゴッド・ファザー』だったと思うし、こういうハイブローな階級社会的なギャング映画に対抗したかったのかもしんない。アクション・ギャング映画は詳しくないから自信はないけど、この映画のギャングの俗っぽさとか、えげつなさとか、タランティーノなんかにつながっているような気がするな。それまでにないアクション・ギャング路線を切り開いた作品なのかも。

この映画に「fu○k」という言葉は何回出てくるでしょうか?。
答えはこちらからどうぞ。↓

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