「バベットの晩餐会」

原題;「Babettes gastebud」  1987年  デンマーク
監督;ガブリエル・アクセル
出演;ステファーヌ・オードラン,ビルギッテ・フェダースピール,ボディル・キュア

dvd19c後半、デンマーク。海辺の寒村に、2人の老姉妹マチーヌとフィリッパが住んでいた。彼女たちは信仰心に厚く、病気や年老いた人たちに善行を施しながら、質素な生活をおくっていた。そこにパリ・コミューンにより家族を失い、亡命してきたバベットが家政婦として住むようになる。ある日、村人たちの信仰心が薄れてきたため、姉妹は亡き父の生誕百年祭にささやかな晩餐会を催し、村人を招待することを思いつくが、バベットは晩餐会を自分に任せて欲しいと申し出る。信仰とは何か、芸術とは何か、誇りとは、幸福とは?。慎み深いが、いろんなことを考えさせる奥深い映画。

この映画を見て、ふと思い浮かんだ言葉がある。
マタイによる福音書6章19-21節>「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」。

登場人物のなかで過去に名声や賞賛、富も得ただろうと思われる人間が3人。歌手のパパン、バベット、そしてロレンス・レーヴェンイェルム将軍。パパンとバベットに賞賛を送った人々は彼らを忘れた。それどころかパリ・コミューンの嵐のなかでバベットの財産だけでなく家族も奪った。将軍も軍服の勲章に虚しさを感じている。パパンは手紙に書く「名声など何になりましょう。」と。
一方、姉妹にはもっと華やかで、羨まれる人生があったかもしれない。恋も諦め、才能も開花させず、わずかなお金を善行をを施すために使い、信仰に生き、一生貧しく年老いていく生活は不幸だったか?。しかし彼女たちの慎ましさ、清らかさが忘れられなかったパパンがバベットを託した。まるで神からの贈り物のように。そして、バベットによって何も失ってはいないことを知る。

考えなければいけないのは、バベットは宝くじで手に入れた大金をすべて姉妹のために使ったということ。フランスに帰って、一生暮らすことができたかもしれないお金なのに。私は人生を変えられるほどのお金を全て他人にために使うなんて絶対にできないけど(^_^;)。バベットは、自分に降ってきた幸運と持てる才能・技術をすべてを使って、自分を受け入れてくれた姉妹と村人への感謝を最高の形にした。それは、"愛情のこもった料理は人を幸せにする"なんつう通俗的レベルじゃない。バベットはすべてを与えた。そこまでした料理だから奇跡が起こせた。あの場にいた人々に信仰心と愛を呼び覚まし、この上なく満ち足りた気持ちにした。将軍を除き、村人は食べ物のことを考えないようにつとめていたし、どんなに贅を尽くした料理なのかも分かっていないが、姉妹も村人もバベットを簡単に忘れた人とは違って、一生、この晩餐会も忘れないだろうし、彼女に感謝し、思い出すたびに幸福感に満たされるだろうと思う。そしてこの晩餐会はバベットにとっても幸福をもたらした。パパン氏は手紙に書いている「芸術家の心の叫びが聞こえる、私に最高の仕事をさせてくれ」と。人を幸福にするのが芸術家であるなら、バベットにとっても、料理人として、芸術家として最高の仕事の舞台を与えられたことになる。
晩餐会の最中に、客人の一人がサラリと重いことを言う「天国に持って行けるものは、人に与えたものだけだ」。私はこのセリフが、この作品の本質を言い抜いているような気がする。最後に、一文無しになったバベットが「貧しい芸術家などいません」と毅然とすれば、姉妹は「あなたの料理は天使をもうっとりさせる」と答える。バベットの富は天にある。与えること、自己犠牲を払って他人に尽くすこと、そのことだけが他人も自分も幸福にできる。富を天に積むってのは、こういうことか?と、冒頭の言葉が思い浮かんだ次第。

寓話的な展開は読み聞かせをしてもらっているようで、それでそれで?と引き込まれていく。慎み深い演出も良い。視線や歌を交わすだけで姉妹の変わらぬ淡い恋心や、てきぱきと晩餐会の準備をするバベットの姿だけで、芸術家としてのプライド、信念が感じられ、晩餐会の客は決して美味しいとは言わないけど、幸福に満たされていく様子が分かる。
この監督は他はパッとしないんだけど(っていうか、この監督のフィルモグラフィーを検索すると本作以外はポルノ映画みたいなタイトルばっかり並ぶんすけど…(^^;)、この作品は歴史に残る1本だと確信する。いろんな意味で奇跡の映画。

2013.12.3

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