ブラザー・サン シスター・ムーン

原題;「Brother Sun ,Sister Moon」  1973年 イタリア=イギリス
監督;フランコ・ゼフィレッリ 
出演;グラハム・フォークナー 、ジュディ・バウカー

聖フランチェスコの若き日を描いた映画。アッシジの裕福な織物商の一人息子フランチェスコは、放蕩の日々を送っていた。しかし、ペルージアの戦いに参戦し、重病を患って帰郷。奇跡的に回復すると同時に信仰に目覚めた。富と権力を拒絶し、清貧に生きる道を歩みはじめるのだった。

なぜ特別な信仰を持たない者にも、心洗われるような感動をもたらすのだろうか。宗教映画が奇跡や偉業をスペクタルに描くものが多いなかで、この映画には何の誇張も虚飾もない。聖フランチェスコは伝説が多く語られる聖人だが、それらはいっさい語られない。たとえ道を阻むものがあっても、純粋に、自分の信じるものに従って地に足をつけて生きていくひとりの人間の姿だけが描かれている。宗教・信仰は、彼の生き方そのものだ。
しかも、フランチェスコの信仰は非常にシンプルである。太陽を兄と慕い、月を姉と慈しむ。どんな苦境にあっても、誰にでも平等に小鳥の声は優しく響き、野の花は美しく咲く。あとは少しの糧があれば、それだけで人間は生きていけるのだ。経済的豊かさや社会的地位を求めざる得ない社会に生き、そのため時には挫折も失望も受けなければならい現代人にも、フランチェスコの思想は、限りない優しさで響いてくる。

しかし、フランチェスコに共鳴できても、彼のように生きられる人は殆どいないだろう。映画では富や権力への欲望に負けてしまう人間の弱さ、フランチェスコのように生きたくとも、生きられない人間の哀しさも描かれている。司祭や教皇である。フランチェスコに「あなたが聖職を志した日のように」と言われた時の司祭、「あなたたちの貧しさに私は恥じる」と告白する教皇、彼らの悲しげな表情は印象的だった。
私がこの映画をはじめて観たのは18,9才の頃だった。その時は映画に感動して、自分も慎ましく謙虚に、そして石を積み上げていくようにゆっくりでもいいから目標に向かって着実に歩んでいこうと思った。しかし、今は、それがいかに難しいことかがよく分かる。贅沢はしなくてもいいけど、快適な家に住みたいし、おいしいご飯が食べたいし、時にはお洒落もしたい。仕事では、努力もしてないくせに劣っていると感じ、他人を妬んでしまう。最近、DVDを観て思った。私は教皇、司祭側の人間であると。フランチェスコの強い生き方より、司祭や教皇の弱さ、悲しさに胸が痛くなった。

ゼフィレッリ監督の強みは、若い頃に建築学を学び、舞台装置、舞台演出、オペラ演出と、映画以外にも豊富な経験を持っていることだろう。映像はもちろんのこと、舞台、衣装、音楽など…どこを取っても監督の美的センスが光る。この映画も監督のこだわりが感じられる。映像では、イタリアの丘陵地帯を背景としたロングショットを多用し、絵画のような美しいシーンを作りあげている。音楽も素晴しい。ドノヴァンの素朴でみずみずしい歌詞と旋律。フォーク調だが、賛美歌のような響きでフランチェスコの無垢な信仰心が染みるように伝わってくる。
そして、フランチェスコ役のグラハム・フォークナー、クララ役のジュディ・ボウカーの清らかなこと!。当時、彼らは新人だったと思うが、力強く澄んだ瞳は、信仰へ生きる堅い決意、無垢な心まで表現しており、惹きつけられる。そこはかとなく漂うふたりの恋心も初々しい。ゼフィレッリ監督の代表作『ロミオとジュリエット』でも言えることだが、若い俳優のみずみずしい魅力を引き出すのが本当に上手いと思う。

私は映画に影響を受けることはあまりないし、信仰も持っていない。でもこの映画だけは特別である。好きなシーンやセリフを繰り返し思い出してしまう、どこかで心の支えになっている映画である。

聖フランチェスコ 平和の祈り

主よ、
わたしをあなたの平和のために用いてください。
憎しみのあるところに、愛を、
争いのあるところに、和解を、
分裂のあるところに、一致を、
疑いのあるところに、真実を、
絶望のあるところに、希望を、
悲しみのあるところに、よろこびを、
暗闇のあるところに、光をもたらすことができますように、
助け導いてください。

主よ、
わたしに、慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを望ませてください。
わたしたちは与えることによって与えられ、
すすんで赦すことによって、赦され、
人のために死ぬことによって、
永遠に生きることができるからです

                 

2005.5

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