マイライフ・アズ・ア・ドッグ

原題;Mitt Liv Som Hund 1985年 スウェーデン
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:アントン・グランセリウス,メリンダ・キンナマン

かけがえのないものを失ったり、思い通りにいかなかったり。子供にだって、大人と同じように人生の悲しみは容赦なくおそってくる。子供の悲しみをテーマにした映画は名作がいくつもあって、例えば、ロベルト・ロッセリーニ「ドイツ零年」('48)、ルネ・クレマン「禁じられた遊び」('53)、フランソワ・トリュフォー「大人は判ってくれない」('59)などがあげられる。子供は、自分が置かれた環境を変えることが難しく、救いのない暗いトーンの作品が多い。そんななかで、本作はイングマル少年が、悲しい現実を乗り越えていく姿を、優しく見守るような視線で綴っていく。

子供に対する観察眼が鋭い。ああ自分もそうだったなと、忘れていた感覚が甦ってくる。どうにもならない辛い現実が降りかかってきた時、人生経験を積んだ大人なら、この映画にも出てきたおばあさんのように「人生は大変なことの連続だ」とあきらめ、事実を受け入れる。
しかし、子供は違う。受け入れられない。イングマルは耐えられない状況の時、目を閉じ、耳をふさいで吠えているが、目の前に起こっている現実の拒否だ。母が病気で死んで、父親は帰ってこないし、唯一心を開いた愛犬とも分かれるという状況は、子供には深刻だ。けれど、イングマルは大人を責めたり、悲しみを表現しない。行動もちょっとズレている。母親が確実に死に近づいているのに、ベッドルームを懸命に掃除したり、プレゼントのトースターを買ってみたり、滑稽な感じさえする。けれど、そこにかえって子供のリアルな姿、イングマルの深い悲しみが表現されているように思う。子供は大人たちが言葉にしなくても、大人の顔色や空気を鋭く感じて、悲しみをいたずらに訴えてはいけないことを察するし、お母さんは死ぬような病気じゃないと現実を否定する行動を取る。故意に、明るくいたずらっ子にふるまって、でもコップを持つ手がいつも震えるのは、表には出せない相当なストレスを抱えているからだろう。母との幸福な時間を思い出しながら、宇宙船に乗せられたライカ犬よりはマシというところでバランスを取ろうとしている彼が、健気で切ない。子供は、受け入れ難い現実や、ひとりで抱え込むしかないどうしようもない悲しみを、大人とは違った、子供なりの行動や考え方で一生懸命乗り切ろうとする。

大人にとっては、子供時代への憧憬を感じさせる作品でもある。このテーマは、本作品に続く「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春夏秋冬」で一段とキラキラした輝きを放って描かれる。イングマルは悲しい現実を受け入れ、サガは恋をする。子供から少しずつ大人になり、一緒にサッカーしたり、ボクシングした子供時代は二度ともどってこない。本作は、1950年代が舞台。美しい自然、彼を温かく迎えるおじさんや友人や、ちょっと風変わりな人々。大人も子供と一緒になって遊ぶのどかな生活。時代とともに失われていくもの、毎日がワクワクした子供時代が、ブリューゲルの「子供の遊技」を思い起こさせるような、懐かしい感覚で描かれる。
スウェーデンの田舎の風景も美しい。夏の白夜は少しづつ闇を帯びていき、季節の移りかわりを感じさせ、冬はすっぽりと夕闇に包まれていく。それにしても、スウェーデンの女の子の積極的だよなー。個人的には、私の子供の頃に似ていて、他人とは思えないおませなカエルちゃんが好き。3人兄弟の長女だったこともあって、子供の頃からああいう大人からちょっと苦笑を買うような気の使い方する子だった。

ラストにラジオから、「イングマル・ヨハンソン」という主人公と同姓同名のヘビー級ボクサーの実況中継が流れる。スウェーデンでは誰もが知る国民的ヒーローだ。彼のボクサー人生を知るとラストがより深くなる。
イングマル・ヨハンソンは'52年のヘルシンキオリンピックにスウェーデン代表として出場した。金メダルを期待されたが、敗北した上に、逃げてばかりの試合姿勢がスポーツマンらしくないと問題にされ、銀メダルまで剥奪されてしまう。彼は「スェーデンの恥」とまで言われるほど、国辱者扱いされた。スェーデンで彼の存在を忘れ去られたが、彼はプロに転向して、ヨーロッパ中心に地道にキャリアを積んでいった。そして、'59年、ついにヘビー級世界タイトルマッチ挑戦へのチャンスが訪れる。対戦するチャンピオンは、アメリカで絶大な人気を誇ったフロイド・パターソン。このタイトルマッチは、パターソンのキャリアを輝かしいものにするため、引き立て役としてヨハンソンが指名されただけだった。北欧の選手がタイトルを獲得するなど誰も夢にも思わなかったのだ。しかし、ヨハンソンの友人らの活動によって本作でも引用されたラジオでの実況生中継が実現し、ヨハンソンが、見事3RKOで勝利した。
監督も、少年時代、この放送を聞いていたのだろう。主人公の名前に、意図的に国民的ヒーローの名前を使うことで、ボクサーのイングマルをよく知るスェーデン人は、自然と少年とイングマルを重ね合わせる。辛い現実に目を背けていた少年の、悲しみを乗り越えた先にある未来を、あたたかく暗示するラストだと思う。

2008.2

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