鬼が来た!

原題;「鬼子来了」 2000年  中国
監督;姜文(チアン・ウェン)
出演;姜文、香川照之、姜鴻波(チアン・ホンポー)、袁丁(ユエン・ティン)

1945年、日本海軍が駐留する中国の寒村、掛甲台(コアチアタイ)村。深夜、馬大三(マー・ターサン)の家に「私だ」としか名乗ない男やって来て、麻袋を二つ、晦日の晩まで預かるように言い残して去っていく。「私」の正体は最後まで謎だが、使用している武器から八路軍(共産党軍)という見方がされている。麻袋に入っていたのは、日本兵の花屋小三郎と、通訳の薫漢臣(トン・ハンチェン)。しかし、約束の日になっても「私」はあらわれなかった。
日本軍が駐留する村で、日本兵を監禁するのは命に関わる危険行為だ。前半は、2人を始末する勇気もなく、どう扱っていいのか頭を悩ませる村人の様子がユーモラスに描かれ、笑う余裕もあった。しかし…後半は顔が凍りついた。

この映画は多くの中国映画に見られるような、ひたすら残虐なだけの日本兵と抵抗する中国人という、分かりやすい構図で描かれた反日・抗日映画ではない。姜文は、こうした抗日運動を素材とした『紅いコーリャン』(張藝謀・監督)に俳優として出演し、単純な視点から描かれた日本兵に疑問を持ったという(公式サイト、監督インタビュー)。『鬼が来た』でも日本兵の傍若無人・残虐ぶりは生々しい。が、他の反日映画と決定的に違う点は、日本兵の残忍・理不尽な行動そのものより、それを正当化してしまうナショナリズム、武士道、天皇崇拝、中国人蔑視など、日本兵の精神的支柱、イデオロギーまで描き出すことに重点を置いたことだろう。日本兵があまり残忍でないというのが、中国で上映禁止になった理由の一つらしいが、私は、日本兵の残忍行為を延々と見せられるよりも、ずっと痛いところを見破られた感じがして、観るのがとても辛かった(DVDで2回鑑賞しましたが…)。

公式サイトの解説、批評で「極限状況に置かれた人間の狂気」「戦争における狂気の発露」を普遍的に描いたというコメントをよく目にする。監督自身も述べていることであり、確かに、これはテーマの一つだろうと思う。
「鬼子」は、直接的には中国人が日本兵を指した言葉だ。それに加えて、(私の勝手な解釈だけど)、どんな人間にも潜む「狂気」を意味しているように思う。花屋小三郎は、最初は誇り高き軍人だった。中国人を蔑み、中国人に捉えられるくらいなら死にたいと思っている。しかし、馬大三ら中国人農民に世話になるうち、元農民だった花屋は、自分を生かしてくれる中国人に親しみを抱き、感謝するようになる。それが軍隊に戻ると、一転して、世話になった中国人を平気で殺せる兵士に戻る。それは日本軍のイデオロギーのなかに引き戻されてしまうからだが、戦争という異常な状況のなかで、ごく普通の農民を残忍な行為に駆り立てるもの、その得体の知れない狂気を「鬼子」と言っているのではないだろうか。そして、あれほど人を殺すのを怖れていた中国人の馬大三のなかにも、その「鬼子」は潜んでいた。

しかし、その一方で、"異常な状況下での狂気の発露"というコメントには違和感も覚える。日本兵の中国人虐殺は、異常な状況の下での狂気だった、だから仕方なかったという言い訳が感じ取れてしまうからだ。姜監督は、そんなことを伝えたかったわけではないだろう。
この作品は、戦時下の帝国主義国家日本だけでなく、都合の悪い歴史から目を背けてきた現代日本をも射程に入れた辛辣な批判だと思う。酒塚隊長は日本の敗戦を知りながら虐殺を煽動し、花屋小三郎は何の躊躇も無く、あまりにも日本的な方法で馬大三を処刑した。戦争が終わっても(異常な状況から解放されても)、彼らのイデオロギーは変らなかったし、残虐・理不尽な行動も変らなかった。そこに自己批判、謝罪や反省などが生まれるはずもない。
紋付き袴で靖国神社を公式参拝する首相や、中国・朝鮮人を蔑むような発言をする政治家や、虐殺はなかったと堂々と啓蒙する歴史家がいることや、またそれらが受け入れられる土壌もあることや…。日本人が、まだ酒塚や花屋たちと変らない思考、イデオロギーを引きずっているのではないか、と考えさせられる。

『鬼が来た!』は2000年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。最高賞であるパルムドールは、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だった。私が審査員なら『鬼が来た!』に軍配を上げる。

おまけ 本の紹介

香川照之『中国魅録−「鬼が来た!」撮影日記−』,キネマ旬報社

この本は面白かった。映画を観た人に、是非、お薦め。
『鬼が来た!』に出演した香川照之の撮影日記。映画も狂気に満ちているが、その撮影も…常識を越えた世界だった。香川によれば「天皇・姜文監督」がひたすら撮りたいものを満足いくまで撮り続けた映画。日々変わる脚本。演出。遅々として進まない撮影。監督以外、誰もどんな映画になるかわからない。中国では普通?らしい自分の欲望に忠実な人々に囲まれ、無計画と無秩序のなかで撮影が進んでいく。あの映画の狂気は、狂った撮影現場のそのもの。日本ではこんな撮影はできないし、それゆえ、『鬼が来た!』のような傑作も生まれることはないだろう。
映画の香川照之の演技に凄みを感じたけれど、あれは演技じゃなくて、本当に崩壊寸前の精神で挑んでいた。軍人になるために軍事訓練に参加させられ、中国の若い兵士(本物)にしごかれるうち、「どっちかというと左翼」の香川が「天皇陛下万歳」と本気で言えるようになる。麻袋に閉じこめられるシーンでは、麻袋に放り込まれて半日以上ほったらかしにされ、布団にぐるぐる巻きされるシーンでは…(以下、同文)。本気で殴られて顔を腫らし、本気で殴って相手の肋骨を折る。俳優に極限の忍耐を強いる戦場のような撮影現場。この本は香川照之の恨み辛みの日記だ。しかし…。我が儘大王・姜や自分の仕事もよく分っていない無茶苦茶なスタッフたちに翻弄され、しまいには慣らされていく香川照之にちょっと笑った。ゴメン>香川さん。(^_^;

2004.9

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