「Sweet Sixteen」 2002年 イギリス=ドイツ=スペイン

監督;ケン・ローチ
出演;マーティン・コムストーン、アンマリー・フルトン
2004年4月29日 WowWow放送録画・自宅ごろ寝シアター

この映画、切ないなぁ。なぜ、敢えて「sweet」なんだろう。ちっとも「sweet」じゃない。
リアムはもうすぐ16歳。学校には行っていない。母親はヤクに関わって服役中。母の恋人スタンはヤクの売人。もうすぐ出所してくる母が、恋人と縁を切るには、家族だけで住める家が必要だ。リアムぐらいの年であれば、望まなくても普通にある環境を手に入れるために、彼は必死でお金を稼ごうとする。
15歳という年令が微妙だ。親離れするギリギリのラインだから。どんな母親であろうが、自分を愛していると信じたい年令。その母のためなら、見境なくどんなこともする純粋さを持っている年令。これが姉のシャンテルになると、犠牲を払ってまで守るほどの母親でないことをとっくに悟っている。リアムはヤバイことに手を染めても、それは、あくまでもお金を稼ぐ手段と割り切っていた。でも、大人の世界は甘くない。ヤクを売りはじめ、親友と決別し、マフィアと関わり…取り返しのつかないところまで来て、どんなに犠牲を払っても手に入れられないものがあることを知る。「バッテリーが切れそうだ」というセリフが、やりきれない。
イギリスの映画は社会の底辺を描いた力作が結構ある。これも良い映画だと思う。ただ、トリュフォーの『大人は判ってくれない』と重なってしまうのは、どうかなぁ…。ラストシーンなんかイヤでもトリュフォーを思い起させる。過去の名作と重なるって、その映画のインパクトを損なってしまうように思うんですが…。

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「女はみんな生きている」 2001年 フランス

監督;コリーヌ・セロー
出演;カトリーヌ・フロ、バンサン・ランドン、ラシサ・ブラクニ
2004年4月23日 飯田橋ギンレイホール

エレーヌは働く主婦(カトリーヌ・F)。旦那ポールは会社経営者で仕事が忙しい。息子は彼女と同棲中。二人とも身勝手で、エレーヌのことを家政婦ぐらいにしか思っていない。エレーヌとポールが車で出かけた夜、男に追われた娼婦が助けを求めてくる。エレーヌは助けようとするが、巻き込まれたくないポールはドアをロックして走り去ってしまう。翌日、気にかかるエレーヌは病院を探し、重傷の彼女を見つける。彼女は娼婦ノエミ。売春組織から追われていた。エレーヌは家事も仕事も投げだして、彼女を介護し、守ろうとする。それは、男に対する女たちの宣戦布告。
この監督の作品は、前に『赤ちゃんに乾杯』を観たことがある。コメディのセンスがあり、男に手厳しい(笑)。『女はみんな生きている』も軽いジャブを連打されているような笑いが散りばめられている。でも、エレーヌやノエミの家庭の事情はリアルで、笑いがひきつる場面が何度もあった。エレーヌは夫と息子に都合良く使われて、エレーヌに「ありがとう」の気持ちはみじんもない。主婦だったら誰でも経験がある虚しさだと思う。エレーヌが見ず知らずのノエミにあれほど親身になったのは、最初はノエミを見捨てた旦那の冷酷さへの反発だったかもしれない。でも、それ以上にノエミが彼女を必要としたからで、そのことがエレーヌの虚しさを癒していたからだと思う。事情がもっと深刻なのはノエミだ。彼女はイスラム系で男尊女卑の徹底した家庭で育ち、父親や男兄弟はノエミのことを自分たちの奴隷だと思っている。今でもそういう慣習が残る社会は珍しくないし、彼女を娼婦に転落させた背景は決して笑えない。ノエミが男から平気で金品を騙し取れる気持ちもよく分る(良いことではないが…)。
やられっぱなしの男性には悪いが、彼女たちの反撃にはスカッとする。男の人は、この映画をどう観るのかな。

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「息子のまなざし」 2002年 ベルギー=フランス

監督;ジャン・ピエール・ダルデンヌ
出演;オリヴィエ・グルメ、モルガン・マリアンヌ
2004年4月21日 下高井戸シネマ

オリヴィエは非行少年の職業訓練所で、木工を指導している。ある日、彼のクラスに少年が入所を希望する。少年の履歴を見るや、オリヴィエは落ち着きをなくし、少年を尾行したり、不可解な行動を取りはじめる。
セリフは短いのが少しあるだけ。音楽なし。すべて手持ちカメラ。カメラは、オリヴィエの斜め背後に位置し、オリヴィエの視線で常に少年が捉えられいる。オリヴィエの執拗な行動を、カメラが執拗に追いかけている感じ。ハッキリ言って、前半、退屈だった。なんでこんな撮り方をするのだろう、と思いながらずっと観ていた。しかし、その少年が何者であるか知った時から、その撮影方法がじわじわ効いてきて、引き込まれた。
憎む相手が突然、目の前にあらわれた時、私も多分、ののしるより、オリヴィエのように狼狽え、じっと相手を観察すると思う。オリヴィエが少年の前では平常心を装いながらも、自分自身でさえ理解できない、常に不安定な気持ちで少年を見つめるまなざしを、カメラは見事にとらえている。「後悔している」という言葉だけでは、オリヴィエは少年を受け入れられなかったし、少年も何も償っていなかった。ラスト、緊迫した体の動きや息づかいのなかに、オリヴィエや少年の決して言葉には出来ない心情がはき出される。感動した(でも、あの終わり方はかなり実験的だよなぁ)。主演のオリヴィエ・グルメは、この作品でカンヌ主演男優賞を受賞。納得である。
原題は「Le Fils」、息子という意味らしい。邦題では「まなざし」を付け加えているけど、「まなざし」というなら、どう考えても「父のまなざし」だろう…。

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「ショーシャンクの空に」 1994年 アメリカ

監督;フランク・ダラボン
出演;ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン
2004年4月10日 第20回シネマクラブ上映会

無実なのに、終身刑に処せられたアンディ。しかし、刑務所でも希望と自由を持ち続ける。仲間にビールを飲めるよう計らったり、無断でオペラを放送したり、銀行家らしいコツコツとした性格で図書館を充実させたり…。音楽を聴き、本を読んでいる時間は、自由な気持ちになれる。高い塀のなかで、アンディはほんの少しでも自由になれる時間をつくることに努力を傾け、そのことで心のバランスを保っているように見える。
この作品は、友人レッドの視点でアンディが語られているところがミソだと思う。観客はレッドの観察したアンディを見ることになる。親友とはいえ、他人のレッドにはアンディの心のなかまでは覗けない。そのため観客には、アンディは捉えどころがなく、何を考えているのか全然分らない。アンディがなぜ希望を持ち続けることができたのか、他人には決して触れさせなかったものが何なのか、レッドや観客には最後まで分らない。ここに、この作品の醍醐味があるように思う。
良い作品だと思うけど、引っかかるところがいくつかある。一つは、ノートン所長や看守があまりにも典型的な極悪人に仕立てられていて、つまらないこと。唯一、アンディに「愚鈍」と言われたノートンが、「これでも愚鈍か?」とアンディに対するコンプレックスをむき出しにするシーンが印象に残った。ここを掘り下げたら、もっと深みのある人物になったかもしれないと思う。もうひとつはラスト。希望は危険だと、ずっと希望を遠ざけていたレッドが「I hope…」と繰り返し語るところが、私は一番好きだ。映画のラストもそれまでの閉塞的な環境との対比が際立って嫌いじゃないけど、この言葉が最大に活きるように、遠ざかっていくバスの後ろ姿でエンドにした方が良いように思った。
*補足* 2009年10月Diary、『ミスト』の感想に付け足した『ショーシャンクの空に』についての小さな考察もどうぞ。

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「グッバイ、レーニン!」 2003年 ドイツ

監督;ヴォルフガング・ベッカー
出演;ダニエル・ブリュール、カトリーン・ザース
2004年4月8日 恵比寿ガーデンシネマ

一昨年、BS放送で『ノッキン・オン・ザ・ヘブンズ・ドア』と『es』という2本のドイツ映画を観て、劇場で観なかったことを悔やんだ。なので、『グッバイ、レーニン!』は絶対、劇場で鑑賞しようと決めていた。最近のドイツ映画は勢いがいい。
1989年ベルリンの壁崩壊直前の東ベルリン。アレックスの母が心臓発作で倒れ、8か月後に目を覚ます。しかし、その間に社会主義体制は崩れ、社会も人々の暮らしも激変していた。医師は、ショックを与えると命が危ないと忠告。アレックスは、熱心な社会主義教育者だった母のために、東ドイツが続いているかのような芝居をする。
スーパーから消えた東ドイツ製のピクルスを探し回り、ニュースまで捏造する。アレックスの涙ぐましい努力が、早回しを多用してテンポ良く描かれており、笑える。しかし、アレックスの作るニュースがエスカレートして、東ドイツではなく「理想の国」を演出しはじめる辺りから重い問題が見えてくる。彼の「理想の国」は、資本主義の競争に疲れた人々を社会主義の人々が温かく受け入れ、仲良く暮らす国である。現実は、東側は統合というより、西側に一方的に飲み込まれる形でしか社会変化の道がなく、失うものが多かった。それは映画でもリアルに描かれている。偽ニュースは、そんな変化を見つめてきた純粋な青年の、ささやかな理想図なのだと思う。
母は嘘だと知りながら、アレックスの製作したニュース映像を見て「すばらしいわ」と言う。母の視線はニュースよりアレックスに注がれている。この時の母(カトリーン)の眼差しがとても良い。母は「理想の国」より、そんな理想を持つ息子が「すばらしい」と言ったのだと思う。感動的なシーンだった。
主人公の名前がアレックス、2001年宇宙の旅のシーンの引用…。この監督、キューブリック好きなのかも。

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「終電車」 1981年 フランス

監督;フランソワ・トリュフォー 出演;カトリーヌ・ドヌーブ、ジェラール・ドパルデュー
2004年4月2日 DVD・自宅ごろ寝シアター

1942年ドイツ占領下のパリ。マリオン(ドヌーブ)はモンマルトル劇場の看板女優。夫は劇場の支配人&演出家でユダヤ人。マリオンは、夫が国外へ脱出した見せかけて地下に匿い、夫に代り劇場経営を担っていた。ドイツ軍の監視のなかで、夫が演出するはずだった戯曲『消えた女』を完成させるまでの過程が、団員たちの恋愛・人間模様を軸に描かれる。
トリュフォーは複雑な感情を演出するのが上手いと思う。マリオンは共演者のカール(ドパルデュー)に冷たく当る。しかし、本当はカールに惹かれていて、地下で不自由な生活をしている夫への貞操のために、気持ちとは裏腹な態度を取っている。こういう複雑な女心の揺れを、匂わせるという感じの、さりげない演出で観客に伝えてくる。見ている方は、途中までマリオンの気持ちがどこにあるのか分りにくいが、直球のセリフや演出より真に迫っている感じがする。他の人物もそれぞれに思惑を持っており、微妙な駆引きを繰り広げる。1本の線ではなく、複数の人間模様を同時並行的に、いくつものエピソードを積み重ねるようにして物語が構成される。トリュフォー得意の撮り方だ。そして、あっと言わせるのはラストだけど、これは内緒にしておこう…。
トリュフォーがドヌーブのために書いた脚本で、ドヌーブがとても魅力的。舞台女優・劇場支配人という華やかな職業、夫を守る良妻であり、でも浮気もしちゃう悪女的な部分、何か隠している謎めいた感じ。確かに、ドヌーブのイメージを上手く活かして、キャラクターが作られていると思う。トリュフォーはドヌーブに秘書などの小さい役は似合わない、映画が真実味に欠けてしまう、華やかな存在感に匹敵する社会的責任、威信のある役にしたかったと言っている。前にシネマクラブで『たそがれ清兵衛』を上映した時、宮沢りえが華やかすぎてリアリティを台無しにしているという意見もあったが、役者のイメージを作品に活かすのも監督の腕の見せ所かなと思った。

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